Vol.85 無謬(むびゅう)神話の壁~失敗から学ぶ価値~
前回はマイナス金利について考えましたが、
・中国バブルの崩壊
・原油安による資源国経済の悪化
に加えて、
・ドイツ銀行の巨額赤字を筆頭に欧州銀に対する不安の再燃
・米国第4四半期のGDP速報値が減速
などが相次ぎ、マイナス金利の株価や為替に与える影響は短期間で剥落してしまいました。2月9日には10年もの国債利回りが一時マイナス0.035%と史上最低を記録、更に10日にはイエレンFRB議長の議会証言によって米国の早期追加利上げ観測が後退すると円高が加速するなど、円や日本国債の人気が急騰、一方で円高による株安と先週は金融市場が大混乱しました。
http://mainichi.jp/articles/20160213/ddm/008/020/068000c
第4四半期の米GDP速報値0.7%増に減速、15年は2.4%増 | Reuters
9日午後、長期金利が史上初のマイナスに | ロイター | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
円急騰一時110円台 米の「利上げ減速」受け:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)
世界的な経済不安が高まる中、今回は日本経済の現状とデフレ脱却を阻む壁について考えてみたいと思います。
- 日本の置かれている環境
現在の日本は、
・1997年以降、大幅に公共投資を絞ってきたためにインフラは老朽化している
・近い将来大地震が起こる確率が高いにも関わらず、防災対策が不十分
・生産年齢人口の減少を補うために将来の生産性向上が必要であり、その為にもインフラ強化が必要
であり、更に
・総務省の家計調査では四ヶ月連続で前年割れするほど消費が低迷している
統計局ホームページ/家計調査報告(二人以上の世帯)―平成27年(2015年)12月分速報―
・企業の設備投資も内閣府のGDP統計では2四半期連続伸びているものの、十分ではない
という状況です。
本来、民間の消費とその先にある投資を刺激するためには、消費税「減税」や公共投資といった財政政策が効果的なのですが、なぜかデフレ脱却策は金融緩和一本に絞られたままです。政府は民間企業に賃金上昇と投資の拡大を求めているにも関わらず、政府支出は絞るという自己矛盾=「財政緊縮病」に囚われているようです。
- 緊縮病に罹る理由
緊縮病に罹る第一の理由として考えられるのは、政治家や官僚、政策立案に関わる人たちが、(ケインズが語ったように)若かりし頃に学んだ政治経済の思想=この場合は1980年代から世界を、1990年代以降日本を席巻した新自由主義のイデオロギーに染まっていて、その枠組みを超える思考ができなくなっているということです。
Vol.69 イデオロギーの力 2 ~ケインズやオルテガ、先達に学ぶ~ - 社長の「雑観」コラム の冒頭の言葉を参照して下さい
第二に、イデオロギーに染まった人を利用して、自分(自組織)に有利にしたいという人もいるでしょう。官界や学会で名を上げたり、民営化した分野で企業がレントシーキングをしたりといったことです。
腹は立ちますが、そういう人の存在を嘆くより、総理をはじめとしたリーダーが彼らの政策への影響を制御していく方が現実的です。
そのほか理由は幾つもあるのでしょうが、第三の理由として、政治家や官僚、学者といった、いわばエリートの「無謬(むびゅう:理論や判断に間違いがないこと)神話」を挙げたいと思います。我々は失敗しないと構えること。神ならざる身でそんなことは不可能なのですが、実際のところは自分の失敗を認められないのですね。
例えば、安倍首相は年頭記者会見で『もはやデフレではないという状況を創り出すことができました』と語ったことに対し、記者から早過ぎるのではないかという質問を受け、
『私は、デフレではないという状況を創り出すことはできた、こう申し上げておりますが、残念ながらまだ道半ばでありまして、デフレ脱却というところまで来ていないのも事実であります。(以下省略)』
という難解な回答をしました。
平成28年1月4日 安倍内閣総理大臣年頭記者会見 | 平成28年 | 総理の演説・記者会見など | 記者会見 | 首相官邸ホームページ
財務省も消費税増税による悪影響を発信しませんし、日銀もインフレ目標未達の原因を曖昧にしたままです。原油安を理由に挙げ、もともと設定していた指標であるコアCPI(生鮮食品を除く消費者物価指数)ではなくコアコアCPI(食料及びエネルギーを除く消費者物価指数)を口にすることが増えましたが、前回書いたようにコアコアCPIでも+0.8%、インフレ目標の2%には遠く及びません。また指標を変えるのであれば、過去の指標設定の誤りを認めるべきなのです。
- 無謬神話の罪
無謬神話にはまりこむと大変厄介です。何らかのイデオロギーにのめり込んだ人にとって、それに反する意見は自分の人生の否定につながるので受け入れられないのと同様、失敗を認められないのですから、失敗から学ぶことができなくなります。
1997年の消費増税でデフレに陥り、前回の消費増税によって景気が腰折れ、未だ消費が復活しないにも関わらず、まだ再増税を目論むというのはその好例です。
私は、若い人の成長のためには成功体験が重要で、それによって自信が芽生え、「これまでの努力が無駄ではなかった」と更に努力を続ける糧になると思っていますが、国政に影響を与えるようなエリートは若手ではありません。
そして人間は失敗し傷ついたとき、それを正面から受け止めれば生き方や考え方を深く見つめ直す機会になり、人格が陶冶(とうや:鍛えて練り上げること)されることが多いものです。
しかし無謬性にこだわって目をそらすと、優秀で権威や権力がある人ほど自己欺瞞に陥りやすくなります。頭のいい人ほど言い訳を考える力にも長けているので、言い訳を自分で信じ込み、周囲を黙らせ、過ちを正当化してしまうのです。かくして20年近くもデフレ(需要不足)でありながら、緊縮財政(需要削減)を続けるということも起こりえます。
「マネジメントの父」P.F.ドラッカー氏は、スターリン、ムッソリーニ、ヒトラー、毛沢東などの名前を挙げ、「カリスマといえども現実を動かすことはできない。現実こそ主人であることを知ったとき、カリスマは偏執的(並木注:偏った考えに固執し、他の意見に耳をかさないこと)となる」ことを理由に「新しい現実を踏まえた政治のモットーは、カリスマを警戒せよでなければならない」と言いました。(出典・参照:『[新訳]新しい現実』 P.F.ドラッカー著 ダイヤモンド社)
エリートも同様です。
方向転換は可能なのか、、、
私は不満や不安はあれども、政治家に期待したいと思います。理由は簡単で彼らは主権者である国民の審判を受ける機会があるからです。次の選挙は今年の7月にあります。イデオロギーに染まっていようがいまいが、選挙目当てであろうとなかろうと、その時には現実を見なければなりません。
政権与党は勿論、野党の役割も重要です。与党の政策が不十分であれば、批判するだけでなく、それを正すのが本来の野党だからです。今は与党が緊縮財政である上、財政出動をしようとすると野党も「バラマキだ!」と批判しますが、「ばらまき」とは元々、種子を一面にまき散らすことです。
公共事業は投資の見返りとして将来のための資産が残るものですが、どの公共事業を選択するかという箇所付けが必要ですので、いわゆる“バラマキ”には当たりません。
減税や給付金などで広く国民に再分配する方が簡単で、“バラマキ”に違いありませんが、消費拡大に貢献する上、どちらかと言えば左派・リベラル的な政策ですので、むしろ多くの野党が提案すべき方向ではないでしょうか。
人間である以上誰でも過ちは犯しますし、権限や責任の大きい人の失敗ほど影響も大きくなります。その中でも格段に責任の重い政策担当者は自分のイデオロギーや独善を抑え、異なる意見に耳を傾ける。そして彼の周囲にいる人は諫言を恐れないということが、「世界経済の危機」を「日本の機会」に変え、「世界経済を牽引していく」ために必要な姿勢だと思います。