Vol.135 「八方よし」の経営と「国と企業の共通価値」
- 「八方よし」の経営と公益資本主義
先日、大阪で開催された個人投資家の方々に向けたIRフォーラムで、鎌倉投信の創業メンバーであり、運用責任者を務めていた新井和宏氏(現在は株式会社eumo代表取締役)とご一緒しました。NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも取り上げられた方です。
その新井さんは『持続可能な資本主義』(ディスカバー携書)という著書の中で、「八方よし」の経営を提案されています。
これは以前ご紹介した、原丈人(はら・じょうじ)氏の「公益資本主義」と同様の視座(物事を認識する時の立場)ですが、企業経営をする上でも、本のタイトル通り、資本主義のあるべき姿を考える上でも重要ですので、改めて紹介したいと思います。
Vol.78 公益資本主義と資本主義・国民経済の未来 - 社長の「雑観」コラム
上記の原稿内で僭越ながら、
「原氏は著書『21世紀の国富論』の中で、頻繁に『国』『日本』という言葉を使っていらっしゃいますので、お考えの上で(原稿内に掲示した)図を使っているのだと思いますが、本来『地域社会』と『地球』の間には『国家』が入るはずです。企業は国のインフラを使ってビジネスを行い、利益が上がれば税金という形で還元するからです。」
と指摘した「国」が明示されているため、私には更に腹落ちしやすかったです。
新井氏は『近江商人の「三方よし」は「売り手よし、買い手よし、世間よし」、つまりかかわる人全員が幸せになることがその本質でした。』『現代は、「三方」で表せないほどに経済が複雑化して』いるため、「三方」を「八方」にし、『その八方すべてのステークホルダーとの間に「共通価値」を見出しましょう』と提案。
「八方」とは、
① 社員
② 取引先・債権者
③ 株主
④ 顧客
⑤ 地域(住民・地方自治体など)
⑥ 社会(地球・環境など)
⑦ 国(政府・国際機関など)
⑧ 経営者
『この「八方」は便宜上のものですから、それぞれの企業によって、その数は増えたり減ったりするでしょう』とされています。(出典:同書P99~101)
こうした方々、――新井氏はシンプルにステークホルダーと書いていますが、原氏の社中(広義には「同じ目的を持つ人々で構成される仲間」)という考え方も魅力的です。坂本龍馬の亀山社中の「社中」ですね――と共通価値を見出す姿勢を持たないと、どこかで利益相反、『一方が利益になると、他方が不利益を被る関係』が生じてしまいます。
『たとえば、企業の利益の最大化を目的にするとどうなるか。
社員の給与は「コスト」と捉えられ、人件費は少ないほうがよくなる。取引先であれば、価格(製造原価)を下げるように過度に圧力をかける。顧客に対しては、リピート率を無視して質の低い商品を高値で売りつける。
地域、社会、国(政府)に対しても同様です。地域負担金、環境負担金、法人税などをコストと考えれば、できるだけ支払わない経営が優れた経営ということになります。
これらは経営者の立場になった場合の利益相反ですが、どの立場であろうとも、金銭的価値だけを優先すれば、自分以外のステークホルダーはみな「コスト」として捉えられてしまうのです。
<中略>
売り手である経営者、社員、取引先・債権者、株主は、みな「コストの発生源」ではなく「付加価値を分配する対象」と考える。
たとえば社員に対しては、決算書のなかの「人件費」を費用項目から外して収益額を出し、その分配先として人件費を定義すればいいのです。そうすると、経営者と社員は「収益を分配する対象」として同じ方向を向くことができます。
取引先・債権者・株主も同じことです。コストではなく付加価値の分配先と考えれば、企業はすべてのステークホルダーと同じ目標を共有することができるようになる。』(出典:同書P104~106)
社員や取引先、あるいは研究開発費をコストと考えてしまえば、直近数年は利益が最大化するかも知れませんが、長期的な成長は――その原動力となる「社員」や「投資」を切り捨てているのですから――望めません。
法人税については、行き過ぎたグローバリズムによって多国籍企業の租税回避が問題になっていますね。
みなに分配するための「付加価値」を如何に増やすか、「八方よし」のバランスを如何に保つかが経営の要諦なのだと再認識できました。
- 「国」というステークホルダー
最後に、私が「国」というステークホルダーにこだわる理由を付記しておきたいと思います。
例えば、先の租税回避のようなことが起こると、単純に言えばその分を値引き等に充てられますから、長期間放置されれば「八方よし」を目指す(同業の)企業が危機に陥るかも知れません。
このような時、公平な競争環境を保つための規制をかけられるのが国(政府)です。
さらに言えば、過剰な経済自由主義が世界で様々な社会問題――格差、治安の悪化、劣悪な労働環境、環境汚染等――を生んでいますが、これは今に限った話ではありません。
19世紀の覇権国イギリスで既に、
『十八世紀の産業革命は、生産手段を飛躍的に進歩させたが、同時に、よく知られているように、人々の生活に破壊的な混乱をももたらした。自然環境は汚染され、農村共同体は破壊され、労働者たちは工業都市に群がってスラムの住人と化し、劣悪な環境の作業現場で、過酷な低賃金・長時間労働を強いられたのである。』(出典:『保守とは何だろうか』 中野剛志著 NHK出版新書 P91)
という現象が起きています。
随分古くて、かつ新しい問題なのです。その為、冒頭で「新しい資本主義のあり方」ではなく「資本主義のあるべき姿を考える上でも重要」と書きました。
こうした社会問題から、顧客・社員・株主にもなり得る国民や、地域を護る役割が果たせるのも国(政府)です。
情けないことに20年を超えてデフレが継続、隣に国家資本主義の中国が存在し、グローバリズムを推進してきたアメリカが保護主義を唱える――といった現在の日本の状況を思えば、政府と企業がどのような「共通価値」を見出すか=どのような資本主義・未来を目指すのかが、将来に向けて大変重要だと思うのです。