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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.69 イデオロギーの力 2 ~ケインズやオルテガ、先達に学ぶ~

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前回、イデオロギーの持つ影響力について考えましたが、それについてジョン・メイナード・ケインズが名言を残しています。


「経済学者や政治哲学者の思想は、それが正しい場合にも間違っている場合にも、一般に考えられているよりもはるかに強力である。事実、世界を支配するものはそれ以外にはないのである。どのような知的影響とも無縁であるとみずから信じている実際家たちも、過去のある経済学者の奴隷であるのが普通である。権力の座にあって天声を聞くと称する狂人たちも、数年前のある三文学者から彼らの気違いじみた考えを引き出しているのである。私は、既得権益の力は思想の漸次的な浸透に比べて著しく誇張されていると思う。もちろん、思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるものである。なぜなら、経済哲学および政治哲学の分野では、25歳ないし30歳以後になって新しい理論の影響を受ける人は多くはなく、したがって官僚や政治家やさらには煽動家でさえも、現在の事態に適用する思想はおそらく最新のものではないからである。しかし、遅かれ早かれ、良かれ悪しかれ危険なものは、既得権益ではなくて思想である。」(出典:『ケインズ全集7 雇用・利子および貨幣の一般理論』 訳者:塩野谷祐一 東洋経済新報社 P384)


刺激的な言葉が含まれていますが、有名な『一般理論』と呼ばれる本の文末の一節です。

ケインズ自身、官僚として、あるいは経済学者として政策決定に大きな影響を及ぼし、一方でエコノミック・ジャーナル誌の編集者、為替投機など様々な経験をした人ですが、一貫して「古くからの通説であれ異端の説であれ、それにこだわりつづけていると思える人たちを激しく軽蔑した」そうです。(出典:『ブレトンウッズの闘い』 ベン・ステイル著 日本経済新聞出版社 P90)

 

  • 有識者の言説と常識との間のズレ

私事で恐縮ですが、私は、2008年に社長という役割を担うことが決まってから、会社の将来のために、少しは知見を拡げた方がいいだろうと思い、経済の勉強をはじめました。専門的に学んだわけではないので尚更かもしれませんが、高名な方々が仰っていることでも、先入観を捨て、常識で考えてみると、腑に落ちないことがあるのに気づきます。

 

一例を挙げましょう。当時も今も「日本は財政破綻の危機にある」と言う識者の方は数多くいらっしゃいます。財政破綻とは国債が弁済不能(デフォルト)となって、借金の棒引きをしてもらうか返済期限のリスケジュールをしなければいけない状況を指すのでしょうが、日本の国債は100%自国通貨建て。日本国政府や日銀は円を刷って返済できるのでデフォルトはあり得ません。

こういう反論をすると決まって言われるのが「ハイパーインフレになる」「国債金利が高騰する」ですが、この回答には議論のすり替えがあります。この回答では「インフレになったり、金利上昇は起こるが、日本国債のデフォルト=日本の財政破綻はない」ということを認めてしまっているからです。

また、そうなるとインフレ率と国債金利の問題になるわけですが、日本はデフレ脱却(つまりインフレ誘導)を進めている最中であり、国債金利も新発10年もの国債金利が0.3%前後を推移しており、世界史上最低水準です。

 

このように、非常に優秀でその道の専門家のおっしゃることが、常識の目でみるとおかしい。こういう時にその方々の持つ「思想」の力を感じ、経済思想や政治思想などの分野も勉強するようになったわけです。

 

ケインズが「思想の浸透はただちにではなく、ある時間をおいた後に行われるもの」だと言っている点も注目に値します。

同時代、世界恐慌というデフレの脱却に向けてニューディール政策を主導したマリナー・エクルズも「19世紀の(自由競争と無制限の個人主義に基づく)経済学はもはや役に立たない。150年の寿命は終わったのです」と説いたそうです。当時も環境が激変したにも関わらず、それまでの主流だった古典派経済学の思想が不況脱出の邪魔をしていたのでしょう。

そして、リーマンショックを経て世界的なデフレ傾向に陥っている現在も、インフレを前提としたであろう「新」古典派経済学に囚われて、適切な対応ができていないように思えます。世界恐慌時と同様、日本では1990年代初頭、世界的には2000年代中盤までの環境に基づいた経済思想の呪縛を解かなければいけません。

 

スペインの思想家オルテガ・イ・ガセットは名著『大衆の反逆』の中で、専門家を自己懐疑せず、権利ばかりを主張する、悪い意味での「大衆」の典型だと指摘しました。そのあたりについて、京都大学名誉教授で思想家の佐伯啓思氏の著書から引用してみましょう。


「ここで、オルテガはおもしろいことをいいます。今日における大衆の典型はいったい何かといえば、それは各種の専門家であるというのです。<中略>

科学的な専門家は、要するに自分の狭い世界のことしか知りません。<中略>にもかかわらず、自分の属している世界がすべてだと感じている。

その結果、自分がそのなかで育ち、獲得してきた世界についての見方がすべてを理解するカギだと思ってしまう。<中略>これで世界を動かすことができると考えてしまう。だから彼は積極的に政治にかかわり、彼の世界観や社会観が政治的に実現されるべきだと思っている。この一種の無意識の思い上がりこそが、現代の大衆の典型であるということなのです。

たとえば、経済なら経済という非常に狭い世界しか知らない。しかし、それにもかかわらず、経済の狭い世界が世界全体であるかのように、それが客観的な世界であるかのように思い込んでしまい、自分の狭い専門世界から得てきた意見が絶対的に正しいものだと考える。それは政治的に実現されるべき権利をもつと考える」(出典:『20世紀とは何だったのか ~西洋の没落とグローバリズム~』佐伯啓思PHP文庫 P199-201)。


もちろん、世の中にはここで言う「大衆」ではない立派な専門家・学者・官僚・政治家の方々も沢山いらっしゃるでしょう。一方で、自己懐疑を失い、自己欺瞞に陥ってしまった人が影響力を持っていると非常に厄介なのです。

 

  • 自己欺瞞の破壊力

自己欺瞞というのは自分をだますことですから、仮に当初、多少なりとも「失敗したなぁ」と思いながら、現実を自分に都合よく解釈していたとしても、主張しているうちに自分自身がそれを信じ込んでしまいます。

同書からの引用ですが、

「経済学の教科書の知識を前提にして現実の経済を見ると、現実の経済は教科書どおりに動いていない。となると、おかしいのは教科書のほうではなく、現実のほうだと考えてしまう。現実の経済はおかしい、合理的ではない、効率的ではない、だから、現実の経済を経済学の教科書に合わせるべく変革しよう、ということになる」(出典:『20世紀とは何だったのか』佐伯啓思PHP文庫 P275)

といった具合に、さらに旧来のイデオロギーに従った言説や政策を推し進め、ケインズの言うとおり、既得権益以上に危険な存在となってしまうのです。

 

ケインズオルテガに限らず、過去の二人の著名な「経済学者」がこんなことを言っています。

「経済学の世界では、決まって多数派が間違える」ジョン・ケネス・ガルブレイス

「経済学を学ぶ目的は、経済問題に対する出来合いの対処法を得るためではなく、そのようなものを受け売りして経済を語る者にだまされないようにするためである」ジョーン・ロビンソン

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいます。大変優秀な方達なのでしょうから、自分が専門的に学んできた分野に囚われることなく、例えば世界恐慌後などの歴史に学びながら、政策立案に関わって頂きたいと思います。

また我々国民も、風評や通説に惑わされることなく、常識の目で現実をみて、苦言を呈すべき時には声をあげることが必要です。