「雑観」コラム

(株)MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.78 公益資本主義と資本主義・国民経済の未来

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今回はまず、ベンチャーキャピタリストで内閣府参与でもある原丈人(はら・じょうじ)氏が提唱する『公益資本主義』についてご紹介したいと思います。

現在の行き過ぎた新自由主義(株主資本主義・金融資本主義・市場万能型資本主義なども類義語だとお考え下さい)の中で、企業経営に携わる方は勿論、ビジネスマンが自分の仕事に誇りを持ち、幸せな人生を築いていくために大切な見識だと思うからです。

 

  • 公益資本主義

以前の投稿でもお伝えしましたが、株主が過剰に短期的な利益(株価上昇や配当)を求めるようになると、長期的に良い商品・サービスをつくり、社会に貢献していくために必要な投資や雇用・人材育成が損なわれてしまいます。

Vol.66 仕事・会社に対する「誇り」と資本主義の未来 - 社長の「雑観」コラム

 

この問題に対して原氏は、『世界中で繰り返される金融危機が示しているのは、「会社は株主だけのもの」という考え方を根本に据えたアメリカ流の資本主義が、社会に有用な企業を崩壊に導く可能性をもっているということです』(出典:『増補 21世紀の国富論原丈人平凡社 P20)と指摘し、下図に示すように、会社は『株主だけのものではなく、経営陣と従業員、顧客、仕入先、地域社会、そして地球といった多くのステークホルダーのものとなります。株主の利益だけを追求するよりも、企業がそれぞれのステークホルダーや地域社会への貢献を第一に考えて行動したほうが、より多くの人びとを幸福にし、経済全体もまた持続的に成長することができる。』(出典:同上 P276)と提言。

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(出典:同上 P277掲載の表を模写)

さらに『日本語では、このステークホルダーという言葉が「利害関係者」と訳されますが、僕はこの訳に違和感を覚えるんです。従業員や顧客は利害関係者なのでしょうか? 本来、これは「会社を構成する仲間」とでも訳されるべきです。あるいは、福沢諭吉がよく使った「社中」という言葉。こちらの方がしっくりきます。そして、この社中で利益を分配するという考え方を基にするから、「企業は社会の公器」という企業哲学が生まれるのです。』と語り、

原丈人氏・特別インタビュー「日本再生の鍵を担う『公益資本主義』」 « 日本再生の鍵を探せ | 企業 × 学校 物語メディア Biglife21 ビッグライフ21

この定義を経済財政諮問会議に諮ったり、浸透・定着させていくための指標づくりに取り組むなど、様々な活動をしていらっしゃいます。

 

  • 瑞穂の国の資本主義と公益資本主義

安倍政権の経済政策は、構造改革分野や消費税増税、プライマリーバランスの黒字化目標など、新自由主義的な傾向が強まっているものの、総理になられる前、文藝春秋に寄稿された「新しい国へ」の中では『ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場主義の形があります』と訴えていました。公益資本主義はその主張に近いものと言えるでしょう。

 

勿論、株主の利益も大切です。ただ、「会社は株主“だけ”のもの」という考え方をとってしまうと、将来、より良い事業・商品・サービスをつくることよりも、短期的な株価上昇を優先し、リストラなどによる人件費の圧縮や、資産圧縮などによるROE株主資本利益率)の向上、投資抑制などへのモチベーションが高まります。

それによって株主と(ストックオプションなどを持った一部)経営陣が短期的には潤うかもしれませんが、その他の社中が不利益を被りますし、その企業の将来も覚束なくなってしまいます。最後には株価を睨みながら、誰に(業績悪化時の)損を押しつけて売り抜けるかという不毛な競争が生まれるだけでしょう。同氏はこれを金融資本主義はゼロサムゲームに過ぎないと喝破しています。

 

  • 国家の位置づけ

さて、原氏は著書『21世紀の国富論』の中で、頻繁に『国』『日本』という言葉を使っていらっしゃいますので、お考えの上で上図を使っているのだと思いますが、本来『地域社会』と『地球』の間には『国家』が入るはずです。企業は国のインフラを使ってビジネスを行い、利益が上がれば税金という形で還元するからです。

また、提供したサービスの付加価値や支払った給与はGDPに計上されます。

 

国を社中と考えた場合も、新自由主義的な資本主義によるゼロサムゲーム、すなわち一握りの人達に富が集中し、そのほかの人達は豊かさを実感できないという状態に陥らないことは非常に重要です。

 

  • 付加価値と賃金

先ほど「提供したサービスの付加価値」という言葉を使いましたが、付加価値とは何でしょうか。先日、国や産業単位の生産性の求め方について、ある勉強会で学んだのですが、付加価値を考える例として、比較的わかりやすい『労働生産性』の算式をご紹介します。


労働生産性=付加価値÷労働投入量
     =(給与総額+営業利益)÷(従業者数×労働時間)


つまり付加価値というのは、利益だけでなく給与総額も含むわけです。

給与総額が増えれば、(普通に考えれば)消費も増えます。

新自由主義ではトリクルダウンといって、富を一部の人に集中させても、そこから滴り落ちて社会全体が豊かになるという強引な論法を使ったりもしますが、2013年には何とフランシスコ・ローマ法王からも批判されています。

年収400万円の人と4億円の人、どちらが消費をする率(額ではありません)が多いかを考えれば分かるように、格差の少ない社会の方がより多くの消費が生まれます。

そして消費が増えれば、企業はその市場を目指して投資をします。消費も投資もGDPにカウントされますので、名目GDPが成長。そうすれば、税収も増えるという好循環が生まれます。日本の場合、晴れてデフレ(需要不足)脱却です。企業が短期利益や株価だけに血道を上げるのではなく、皆で頑張ってあげた利益を社員に還元することは、国家も含めた「社中」のためになるわけです。

 

  • 国民経済への貢献

前回ご紹介した『中進国の罠』を思い出して下さい。人件費が安い間はそれを武器に、先進国から生産拠点が移されることで経済成長できます。『世界の工場』と言われた時期の中国はこの代表格です。しかし、経済成長して徐々に人件費が上がれば、その間に高度な技術力が身についたとか、勤勉だとか、インフラが素晴らしく整っているとか、地理的に便利だとか、その国にとどまる理由がない限り、更に人件費の安い国を求めて生産拠点は移動します。賃金上昇によって中進国になった国は、別の途上国の追い上げを受け、輸出競争力が下がり、一方で先進国との競争のためには技術力・付加価値が十分ではなく、成長が止まるというものでした。

 

これも『(過度の)資本移動の自由』という新自由主義的な経済思想の影響を受けているのですが、国民を豊かにするためには、「中進国の罠に陥る前に」あるいは「ある程度の保護主義によって国内産業が守られている間に」

・技術力などに裏打ちされた付加価値の高い商品・サービスが提供でき、

・賃金上昇に伴う豊かな内需がそれを欲する

という状態を作り上げる必要があるわけです。

 

先日、嘉悦大学教授の高橋洋一氏の書いた面白い記事を目にしました。

ノーベル賞受賞の経済学者、ポール・クルーグマン教授に、『なぜ日本を研究するのかと尋ねたところ、「研究対象としては、日本とアルゼンチンが興味深いね。(ノーベル賞経済学者の)クズネッツが言ったが、世界には先進国・途上国・日本・アルゼンチンの4種類の国しかない。先進国と途上国も固定メンバーだ。例外として、日本は途上国から先進国に上がったが、アルゼンチンは逆に先進国から途上国に下がった。(後略)」と言っていた』

【日本の解き方】クルーグマン教授の緊縮批判 消費増税に懸念 まともな政策でデフレ脱却を (1/2ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK

とのこと。

 

日本の先人達は上記を実現し、アメリカに次ぐ世界第二の内需大国を残してくれました。


デフレ下では価格と賃金が下がり、内需が縮小しますので、外需に頼ることも、価格競争に走りたくなることもわかりますが、「値下げ」とそれに伴う「コストカット」ではなく、「品質・付加価値」で勝負し、「賃金上昇」と「利益向上」を共存させること。賃金上昇によって生まれた分厚い中間層の内需によって、付加価値の高い商品が購入される環境を、政府と民間が共に目指していくことが、様々な社中の方の満足のために、そして働く人の誇り(幸福感)のために大切なのではないでしょうか。