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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.67 憲法改正と財政規律条項 ~『経済政策で人は死ぬか?』に学ぶ~

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 憲法改正に向けた動きが本格化しつつあるようです。年始の投稿で「日本人の手による憲法改正の機会が巡ってくるかもしれない」と書きましたが、思いのほか速い展開です。

 

 

 3月6日の衆院予算委員会では、安倍首相が「憲法ができて長い年月がたって、時代に合わなくなった条文もある中で、憲法を変えていくべきだ」。さらに、今の憲法は「短い期間で連合国軍総司令部(GHQ)において25人の方々によってつくられたのは間違いない」「こういう過程でできたから変えていく、ということについて議論するのは当然のことだ」とその作成過程にまで触れられたのは、正しい事実認識に基づいて議論を進める土壌を作っていく上で重要です。

 

安倍首相、憲法改正に重ねて意欲=「時代に合わぬ条文ある」—衆院予算委 - WSJ

 

 ここまでは良いのですが、改正内容には大きな懸念があります。というのも憲法改正の話が現実味を帯び始めた2月14日、自民党船田元憲法改正推進本部長が、最初に取り組む改正項目の候補に「環境権、緊急事態条項、財政規律条項」を挙げ、その後の報道もこれを後追いしている状況だからです。

 

憲法改正「遅くとも再来年春の実現へ全力」自民・船田氏 優先項目に環境権、緊急事態、財政規律(1/2ページ) - 産経ニュース

 

 日本の憲法改正手続きはなかなかハードルが高く、憲法96条で衆参両院の3分の2以上の賛成によって国会の発議が可能になり、国民投票によって改定されると定められています。「衆参両院で3分の2の賛成」を得ないと始まらないので、まずは合意が得られやすい項目からという配慮があるらしいのですが、私としては、財政規律条項を憲法に盛り込むことに反対である上、それが“合意しやすい”という現在の政治状況に危機感を覚えます。

 

 ユーロ加盟国はマーストリヒト条約を締結しており、その中に、「原則として財政赤字GDP比3%以下」などといった基準が示されています。これが財政規律条項です。深刻な不況に陥った国が守れるわけはないのですが、こうした条文があると、その後の政策は時機を問わず緊縮財政に引っ張られます。今回は、それによってどのような問題が生じるかについて考えてみたいと思います。

 

 

 これまでも当ブログでは、

 

①需要不足のデフレ時には民間企業が投資を、国民は(所得が下がって)消費を抑制してしまうので、公共投資などの政府支出を増やして需要と雇用を生み、金融緩和によって生まれた資金を国内に循環させていくこと。

 

②逆に、好況期には防災や安全保障など必要なこと以外は政府支出を削減し、増税などの手段でバブルの肥大化を制御すること。

 

の必要性をお話ししてきました。①の時期には政府の財政赤字が拡大しますが、景気回復によって健全化する。それがあるべき姿であり、そのために政府は、民間と逆の動きをして景気の調整役を果たさなければいけないのです。

 

 公共事業は無駄や利権の温床という言葉も聞きますが、それは別に議論すべき問題です。適切な投資を選択できれば、現在の景気対策のみならず、将来世代に防災などの安全、利便性の高いインフラなどによる生産性の向上という資産を残すことができます。

 

 憲法に財政規律条項が入ってしまうと、不況対策と将来の資産形成に資する財政出動が過剰に制限されてしまう可能性があります。

 

 

  • 『経済政策で人は死ぬか?』:社会保障の重要性

 

 さて、今回は公共事業と並ぶ政府支出である「社会保護」への投資が、不況期に我々国民の生命と健康にどのような影響を及ぼすかについて書かれた書籍『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』(デヴィッド・スタックラー&サンジェイ・バス草思社)をご紹介したいと思います。

 

※「社会保護」というのは同書の中で使われている言葉で、『社会保障とほぼ同義で、社会福祉と公衆衛生を含む』(出典:同上 p15)と書かれています。ここではわかりやすいように引用部以外では以降、「社会保障」とさせて頂きます。

 

 同書では成功例としてニューディール政策、失敗例としてソ連崩壊後。さらにアジア通貨危機時での成功例:マレーシアとその他の国の違い。今回の世界同時不況下での成功例:アイスランドと失敗例:ギリシャなどを取り上げながら、社会保障政策が死亡率や健康被害、更には景気回復に及ぼす影響について取り上げています。

 

 幾つかご紹介しましょう。アジア通貨危機勃発により、多くの国がIMFの支援を仰ぐことになりました。

 

 しかし、『アジア通貨危機以前から、IMFはアメリカの対外政策の一翼を担う機関として広く知られるようになっていた。IMFは危機に陥った途上国の政府に融資を行い、帳尻合わせを助けてきたが、その融資には当然のことながら条件がつけられる。その条件は、1980年代のレーガンサッチャー時代になると新自由主義に傾き、国営企業の民営化や規制撤廃による自由化、財政支出の削減を求めるとともに、それぞれに厳しい目標まで課すようになった』(出典:同上p93)。

 

 危機下において、こうしたIMFや諸外国からの圧力を拒否したのがマレーシアです。

 

 『マハティール首相は、「貿易を伴わない為替取引」こそ通貨危機の原因だと述べ、これを「不要、非生産的かつ不道徳なもの」と断じ』て投機家の動きを抑制し(出典:同上 p97)、食料費補助や医療支出、失業者支援などの社会保障支出を増やしました。

 

 その結果、『保健医療関連予算を削減した国では栄養失調やHIV感染が急増したが、予算削減を拒否し、食料費補助やワクチン接種などを続けたマレーシアではそうした事態は避けられた』(出典:同上 p106)上に、

 

 『タイ、インドネシア、韓国、マレーシアのなかで最初に景気が回復したのは、IMFの支援を拒否したマレーシアだった。マレーシアは国が市場に介入するという独自路線を貫いた結果、国民の経済状態や健康状態が他国ほど大幅に悪化することはなく、しかも景気を迅速に回復させることができた』(出典:同上 p105)のです。

 

 そして、『IMFが指導した緊縮政策と自由化によって東アジアが当初の試算の三倍に上る経済的損失を被った』(出典:同上 P107)ことを、遅ればせながら2012年になってIMF自らが認めているとのことです。

 

 とはいえ歴史は繰り返されます。2008年のアイスランド危機勃発後、同国の健康被害を防ぐための会議において、緊縮賛成派は相変わらず「緊縮策で投資家が安心することによって不況の悪化を防ぐことができ、結果として健康被害も防げる」と主張しましたが、その際に鍵になったのが「政府支出乗数」だそうです。これは乗数効果とも呼ばれ、政府支出を1増やしたときに、国民所得がいくら増えるかという数値です。

 

 『この政府支出乗数を、当時のIMFエコノミストたちはどの国についてもおよそ0.5と想定していた。<中略>しかしながら、実はこの0.5という数字にはしっかりした根拠がなかった。しかもIMFは、どの分野の支出についても乗数は同じようなものだと考えていた』(出典:同上 p123)ため、著者たちが、欧州25カ国、アメリカ、日本の過去10年以上にわたる実データから調べた結果、『実際にはおよそ1.7』であり、『分野別で言うと、アイスランドの場合、最も乗数が大きいのは保健医療と教育で、どちらも3を超えていた』(出典:同上 p123-4)とのこと。

 

 これは以前ご紹介した「(日本における)狂った羅針盤」の議論と通じるものです。誤った前提を設定してしまうと、その後の政策は誤り続けます。この点からも「財政規律の憲法化」はリスクが高いのです。

 

Vol.36 消費増税考 ~順番の違う意思決定と狂った羅針盤~ - 社長の「雑観」コラム

 

 アイスランドは結局IMFに頼らざるを得なかったのですが、2010年3月に転機が訪れます。政権交代に伴う国民投票によって、緊縮財政と『リスクの高い投資や口座に手を出した銀行や投資家、預金者』(出典:同上 p126)の保護ではなく、医療関連予算の拡大・食料費補助・住宅支援・再就職支援といったセーフティーネットの維持を選んだことで、健康被害を悪化させることなく、急落していた実質GDPも2010年を境に回復します。

 

 

 

 『緊縮政策は一種の経済イデオロギーであり、小さい政府と自由市場は常に国家の介入に勝るという思い込みに基づいている。だがそれは社会的に作り上げられた神話であり、それも、国の役割の縮小や福祉事業の民営化によって得をする立場にいる政治家に都合のいい神話である』(出典:同上 p237-8)

 

 『緊縮政策支持者は短期の痛みに耐えれば長期的利益がもたらされると言うが、その痛みは人命であって、取り返しがつかない』(出典:同上 p238)

 

 という著者の指摘を襟を正して受け止めるべきだと思います。公共事業悪玉論と同様に、社会保障に関しては不正受給問題などが挙げられますが、その防止策をどう行うかは別に議論すべき問題です。

 

 不況時におこる失業や健康被害、死亡率の上昇(日本でも1997年以降、デフレに突入してから自殺者数が急増しました)を防ぐためにも財政規律条項を憲法化するといった愚は避けるべきだと思いますが、如何でしょうか。

 

 まだまだ試案段階の筈です。「財政赤字は将来世代にツケを回す」という印象論ではなく、具体的に過去の事例を検証しながら議論を進めていただきたいと思います。

 

 また、憲法改正国民投票が行われますので他人事ではありません。私自身、改憲派ではありますが、財政規律条項など内容次第では反対する可能性もあります。それぞれの方が、どのような国・憲法を次世代に引き継いでいくか、自分の事として考えていただければと思います。