社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.47 続『国家のツジツマ』に学ぶ ~世界観の大切さ~

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 社長の並木です。「Vol.41 イズム・二元論の危険性 ~グローバル化脱原発などを例に~」などで、一つのイデオロギーに固執したり、単純な二元論に陥ることの危険性についてお話ししてきましたが、前回もご紹介した『国家のツジツマ ~新たな日本への筋立て~』(佐藤健志・中野剛志著 VNC新書)に、この二つについて非常に勉強になることが書かれていましたのでご紹介し、改めて考えてみたいと思います。今回はまず、イデオロギーについて。

※下記引用部分では「ビジョン」という言葉が多用されていますが、「それに基づいて世の中がどう動くかをみる」ということで、イデオロギーと同義です。同書によれば、イデオロギーは、イデア=理念・考え方と、オロギー=体系化されたものとが、組み合わさった言葉で、「考え方を体系化したもの」。すなわち「世界観」を意味します。(参考:国家のツジツマ ~新たな日本への筋立て~ 佐藤健志・中野剛志著 VNC新書)

 

「(前略)先に紹介した『TPP亡国論』(中野剛志氏の著書)ですが、私(佐藤氏)のいちばん好きなフレーズは本の半ばあたりに出てきます。いわく、「経済政策というものは、世界観が間違っていると、何から何まで間違うものなのです」(中略)

 経済というと、数字の計算を厳密にやって、どうすれば利益が上がるかを見通して・・・と、テクノロジカルなイメージがつきまといやすい。ならば厳密な計算さえできれば、万事大丈夫なはずになりますが、実際にはそうではないのです。

 テクノロジカルな数字の計算は、あくまで手段でしかないんですね。その根底には、どんなふうに数字を計算したら物事が良くなるかという点、つまりは目的をめぐるビジョンがなければならない。そしてこれは、思想の領域の問題なのです。(中略)

 裏を返せば、思想の持ち方次第で、どんな計算をするのが適切かという点が変わってきてしまうのです。(中略)

 おまけに困るのは、人間、自分がどんな思想や価値観を持っているか、自覚しているとは限らないこと。

 この自覚が欠落していると、何がまずいか。思想や価値観は、本来、多種多様です。ところが「自分はこういう思想や価値観を持っている」と自覚していない人は、往々にしてそのことが分からない。(中略)

 自分のビジョンと違うビジョンがあるということが分からない。「思想」や「価値観」ではなく、唯一絶対の「真理」を踏まえているつもりですから。

 かくして、(思想に踏み込んだ別の意見が出てくると)「みんな俺と同じ土俵に乗っているのが当たり前なのに、何で違った土俵からの意見が出てくるんだ!」とキレることになる。」(出典:国家のツジツマ ~新たな日本への筋立て~ 佐藤健志・中野剛志著 VNC新書)

とのことです。思い当たることがたくさんあります。幾つか例を挙げて考えてみましょう。

 

 前回投稿の内容は、「グローバリズムは歴史の必然」という世界観で、消費増税などによる物価上昇局面であるにも関わらず、実質賃金の低下(物価上昇率に賃金上昇が追いつかない状態)を招きかねない労働規制の変更を求めると、より安価な賃金の新興国労働者とグローバルに競争する羽目になり、自国の人々の賃金が下がってしまうという「底辺への競争」が起きるという問題や、実質賃金の低下によって、国民の所得が減少し、GDPの多くをしめる内需が冷え込むことへの危機感が少ないのではないかということを指摘をしたものです。

 恐いことに、実質賃金の低下が現実になってしまうと、デフレは脱却出来ても、インフレ下の不況というスタグフレーションが起こりかねません。これは1980年代にレーガノミクスサッチャリズムが行われた米英と同じ状況に陥るということです。そして、その時の処方箋こそが新自由主義グローバリズムです。その結果、不動産バブルなどで好景気で湧いたリーマンショック前でも、欧米では格差が拡大し、富裕層以外の人たちの実質賃金は余り上がらないという世の中が生まれました。

 つまり、一つの世界観によって生まれた不具合が、更にその世界観の推進を後押しし、更に大きな歪みの連鎖を生むということもあり得るのです。

 

  • 「日本は人口減少で成長しない」という世界観

 先日、BSフジのニュース番組で有識者の方々が、「女性の活用」や「高齢化による医療費の増加」について話されていましたが、どの意見も「人口減少」が前提となっていました。5年、10年先に限定された話であれば仕方ないと思いますが、いずれも今後の国のあり方という長期的な問題も含んでいます。この「日本は人口が減るのだから」という世界観もなかなか強力です。「Vol.9 人口減少と経済成長 ~少子高齢化は避けられないのか~」でも取り上げましたが、人口問題を語るときには、日本で出生率の低下が顕著になった1974年前後の出来事を知っておく必要があります。

 まず前提として、人口問題は昔から、人類の食料とエネルギーが賄えるのかということが大きなテーマとなってきました。

 そして、1972年にローマクラブ(スイスに本部を置く民間のシンクタンク)が資源と地球の有限性に着目して「成長の限界」を発表します。人口増加や環境汚染が続けば100年以内に地球上の成長は限界に達するというのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C

 そして、翌1973年に第一次オイルショックが起こりました。これは石油の有限性を強く印象づけ、当時子供だった私でも、この頃から度々「地球の石油の寿命はあと30年」などと言われていたことを覚えています。それからもう40年経ちましたが、新たな油田の発見、原子力自然エネルギーの活用。最近ではシェールガスや日本におけるメタンハイドレードなど新たな技術開発によって、むしろ「あと何年」というカウントダウンの声は小さくなっています。

 加えて、オイルショックによる世界的な不況です。長期的には食料やエネルギーが大きな問題ですが、目先の不況は「育てていけるのか」という不安を生み、出生率に影響を与えます。

 そして、1974年に戦後二回目の人口白書が発表されます。その中で「なるべく早く人口増加を止め、増えも減りもしない静止人口を目指す」ことが訴えられていたのです。更に、同年開催された第一回日本人口会議では、「人口教育・家族計画などで“子供は二人まで”という国民的合意を得る」努力をするという宣言が出されました。その結果、1975年以降は合計特殊出生率が2.0を下回り、少子化が進みます。

 このように、日本は国策として、世界的な食料・エネルギー問題に対応するために少子化を推進したという側面があることを忘れてはいけません。

 こう考えると、少子化の原因なのか、国策の結果なのかは微妙ですが、都市化や核家族化が進んで、育児に親族の助けを頻繁には受けられなくなり、保育施設が不足し、一方で晩婚化が進んだ等の理由で、人口は静止を超えて、減少に向かってしまったのです。この40年間の習俗の変化は一朝一夕には戻りませんが、「人口減少だから日本は経済が衰退し、国民が貧しくなるのが避けられない」と悲観するくらいであれば、景気回復・食料及びエネルギー自給率の向上・保育環境の整備・地方の活性化と東京一極集中の緩和・第三子以降への税制優遇等々、新たな国策を打つことで30年後、40年後に人口減少を食い止める道を目指した方が健全です。

※移民による人口増や労働人口増については、先行したヨーロッパや、本来移民国家であるアメリカでも様々な問題を生んでいます。文化や国体に関することですので、極めて慎重に考えるべきだと思います。

 

 大切なことは、自分達がどういう世界観で世の中が動いていくと捉えているのかを自覚し、それを疑う思考の柔軟性を持ち、自分達国民にとって好ましい未来につながる世界観を考え続けることだと思います。