社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.125 ナショナリズムと日本(前編)

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5月から社業に忙殺され、すっかりご無沙汰してしまいました。今日から再開致します。

皆様の考えるキッカケとなれば幸いです。

 

さて、雑誌『表現者クライテリオン』の7月号に『ナショナリズムとは何か 「右」と「左」を超えて』という特集が組まれています。

対談の中で、心に刺さった発言がありましたので、それをご紹介しながら、ナショナリズムと日本を取り巻く環境について考えてみたいと思います。

 

敗戦後、日本ではナショナリズムを語ることすら忌避される傾向がありますが、評論家の佐藤健志氏が

『「ナショナリズム」及び「国家」「国民」にあたる「ネイション」の語源は「出産・出生」を意味するラテン語であり、「ネイション」はもともと女性名詞。

つまり、国民とは「同じ国に生まれた者同士」であり、母国という言葉があるように「国」は母なのである。

すなわちナショナリズムは、「<母の共有>という観念に象徴される母国への愛着」と規定できる。』(『表現者クライテリオン7月号』啓文社書房 P116から要約・抜粋)
という趣旨のことを書いているように、自然な感情です。

※因みに愛国心=「ペイトリオティズム」は「父祖の地」を意味するギリシャ語に由来しているのだそうです。(同P117-118参照)

 

だから、サッカーワールドカップの日本代表の健闘に、皆が一喜一憂(共感)し、東日本大震災直後などを思い出せば分かるように、協力し合えるわけです。

 

目を転じて、国民感情と国際機構がぶつかり合っているEU移民問題を考えてみましょう。


629人の移民を乗せた救助船の接岸を拒否したイタリアに対し、仏マクロン大統領が「無責任」だと批判、伊コンテ首相が「移民問題に目をそらす国から、偽善的な説教を受けるいわれはない」と反論する事態が起こっています。

イタリア新政権、移民船の接岸拒否 仏伊が舌戦「無責任だ」「偽善の説教するな」 - 産経ニュース


移民問題を爆発させた張本人、メルケル首相のお膝元ドイツでは、連立相手のゼーホーファー内相が移民政策に最後通牒を突きつけた結果、他の欧州各国で登録済みの移民をドイツから送還することで、連立崩壊の危機を脱したとのこと。

メルケル独首相、他国登録の移民送還に同意 連立崩壊を回避 - BBCニュース


確かにダブリン協定では、難民を最初に入国したEU加盟国に送り返すことができることになっていますが、アフリカや中東から離れているドイツはともかく、リビアと地中海を挟んで向かい合うイタリアはとんでもないことになる。それがコンテ首相の発言につながっているわけです。

 

人道的には難民救済は美しい(現在の欧州の問題は、どちらかと言えば経済移民ですが)。

ただ、無制限に受け入れるとなると、治安の悪化、社会保障へのただ乗り、自国の文化や常識への無配慮など問題が多発します。

エマニュエル・トッド氏が言うように、

『(歯止めなき移民受け入れ主義は)移動する外国人の権利を自国にとどまっている諸国民の権利に優先させ、諸国の住民を治安の行き届かない状態に置いています。そうしたイデオロギーは善意の外観にもかかわらず、実はアンチ・ヒューマニズムです。
(中略)移民現象をコントロールしようとする望みを排外主義扱いするのは、無責任にほかなりません』(出典:『問題は英国ではない、EUなのだ ~21世紀の新・国富論~』 エマニュエル・トッド著 文春新書 P42)』

という逆説です。

 

各国の民主主義で反EU・反移民の政党が議席を伸ばしても、そうした政党は「極右・ポピュリズム政党」と批判的に報じられますが、移民排斥は極右であっても、移民制限は国民国家を維持するための当たり前の政策です。

また、故:西部邁氏は、浮ついた世論の人気取りを「ポピュラリズム」、社内の土台にいる庶民が心中に抱く感情や常識=輿論(よろん)をすくい取ることを「ポピュリズム」と分けて使っていましたが、治安の悪化など切実な問題に晒されているのですから、後者のように思われます。

であるにも関わらず、EU機構に主権を奪われているため、問題解決が進みません。

 

ここから、適正な国民感情を機能させること。これをナショナリズムと呼んでもよいと思いますが、それは主権がなければ「機能」しないことが学べます。

 

  • 日本と主権

そこで心に刺さった発言の一つ目は、文芸批評家の浜崎洋介氏の

『「国家主権」の概念規定を考えると、内にまず立法権ですね。最終的には憲法制定権です。そして、もう一つが、外に対しての交戦権です。そして、ここで決定的なのが、戦後日本は、このどちらももっていない、あるいは経験していないという事実です。つまり、戦後日本は、自分たち自身の「生き方」(憲法)を意識化したことがないどころか、アメリカに決められた「生き方」の中で「交戦権」まで奪われているわけです。すると、「主権」というものを生きたことがないので、どんなに凄まじい対外的緊張を強いられても、最終的に、日本人は「ひとごと」なんですね。』(出典:『表現者クライテリオン7月号』 P42-43 下線は並木加筆)

という言葉です。

 

自国の安全保障を「ひとごと」のように構えるのは、その時は楽でも、イザ危機が到来した時、全くの準備不足・リソース不足に陥りかねません。

 

例えば「米朝首脳会談」の共同声明に「朝鮮半島の完全な非核化」が盛り込まれたことで、緊張が緩んでいますが、実際には何ら具体的な進展はないばかりか、北朝鮮が核開発を続けているという報道まであります。

北朝鮮は核開発を続けている? 米メディアが報道 - BBCニュース


米国に届くミサイルは開発しないという裏合意はされたのだと思いますが、日本の状況は何ら好転していません。

米国が直接介入し、核弾頭を運び出せば短期間の非核化が実現するでしょう。

一方で「段階的非核化」という名のもとに日本に届く核を持ち続けることが黙認される可能性もあります。となれば、北朝鮮が恫喝外交を仕掛けてくることが予想されます。

あるいは、このまま進展がなければ、トランプ大統領が「約束を破られた」と軍事行動を起こすかもしれません。その場合、日本は北からのミサイル防衛と難民対策を「自分ごと」として対処することになります。一時、北朝鮮からの漂着船が話題になりましたが、恐らくは、海流でどこに辿り着くかの実験のために、スクリューを外していたものもあったそうです。


日本(安倍首相)が蚊帳の外かどうかなど、どうでもいい話で、危機再燃時の準備の方が余程重要です。

また、トランプ大統領が非核化の費用は「韓国と日本が支援してくれるだろう」と言っている以上、高い確率で直接交渉は行われます。その時に拉致問題も含めてどこまでの覚悟で交渉すべきかを、日本が決断しなければなりません。

 

北朝鮮危機だけでなく、尖閣諸島周辺での中国船の航行は連日行われているにも関わらず、報道すらされないといった問題もあります。

 

冷戦が終わり、一強を誇った米国が相対的に弱体化したことで、安全保障を米国頼みですんだ時代は終わりつつあります。依然として最強国である米国との同盟を基軸とするにせよ、国会で、様々な可能性に対する日本国としての対応を議論して欲しいと思いますが、その兆しは見えません。

政治家に危機感を抱かせるために、多くの国民が主権者意識を持つことが早道なのかもしれません。

 

一つ目が長くなりましたので、続きは来週更新します。