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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.100 世論(せろん)と輿論(よろん) ~自分の頭で考える力~

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  • 当ブログについて

余り高い頻度で更新できない当ブログではありますが、お陰さまで100回目を迎えることが出来ました。毎回長文になってしまうにも関わらずお読み頂いている皆様、ありがとうございます。

 

2008年に、社長という役割を担うことになった直後にリーマンショックに見舞われ、会社の安定と長期的成長のため、少し長いスパンで物事が観られるようにと経済の勉強を始め、理念経営を標榜していますので、根っこの部分を培うために思想や歴史の勉強を始めました。

 

そうするとマスメディアなどで喧伝されている、

グローバリズムは歴史の必然で不可逆な流れである

・日本は人口減少で成長できない

・国の借金1,000兆円で日本は破綻する

といった説が、実は眉に唾をつけて聞かないといけないものであること。それが世論となり、政界、官界、さらには経済界にもかなり浸透してしまったために、緊縮財政や構造改革が進められることで、むしろデフレ脱却の足かせとなっている実態を知り、恥ずかしながら40代半ばにして、改めて「自分の頭で考える」ことの大切さを学びました。

 

お読み頂く方の中には、私と意見の異なる人も多いと思いますが、当ブログが風説・世論に流される前に、自分で考えてみるキッカケになっていれば幸いです。

 

  • 世論(せろん・せいろん)と輿論(よろん)

今回はその「世論」について考えてみたいと思います。

「よろん」というのは、もともと「輿論」と書きました。

 

佐藤卓己氏の著書『輿論と世論 日本的民意の系譜学』によれば、

『「輿論」とは、明治元年(1868年)明治天皇が新政府の施政方針を示した「五箇条の御誓文」の第一条「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ」の公論』であり、理性的な意見であるのに対し、

「世論」はもともと「せろん」「せいろん」と読み、明治十五年(1882年)発布の「軍人勅諭」の中に「世論に惑はず」、福澤諭吉の『福翁自伝』にも「世論に頓着せず」とあるように、感情的な世間の雰囲気を指す言葉で、別の意味を持っていたそうです。

 19世紀終盤の外国語辞書では、

『よろん(輿論)=public opinion』
『せいろん(よのひとのあげつらひ)=opinions of the time』や『せいろん(世論)=popular sentiments』
などの訳語が付されていたとのこと。

『世論とは世上の雰囲気であり、責任ある輿論とは異なるもの』とされていたようです。

(以上、『輿論と世論 日本的民意の系譜学』 佐藤卓己著 新潮選書 p22~28を参照、『 』部完全引用)

 

  • 輿論(よろん)と保守

一方、評論家の西部邁氏は、(同じ趣旨ではあるのですが)public opinion=理性的な意見という解釈も否定し、

『思いを巡らせずに吐き散らかされた臆説の集まり、それが、パブリックオピニオンだと言っていいでしょう。それもそのはず、オピニオンとは「根拠の定かならぬ意見」のことなのです。漢書で「世(せ)論」といってみても、それは「世にはびこる論」のことで、昔の「輿論」とは異なります。輿論というのは、「社会の台(輿)にいる庶民が心中に抱く常識」のことです。そんな土台も庶民も常識もなくなったのが現代社会です。』

【特別寄稿 西部邁 】言葉は過去からやってくる | ASREAD

と語っています。

 

西部氏は保守の論客です。

保守という言葉の定義も混乱しているのですが、哲学者:適菜収氏の『安倍でもわかる政治思想入門』を紐解けば、人間の理性を盲信する近代啓蒙思想に対し、

『ひとことで言えば、「人間理性に懐疑的である」のが保守です。

抽象的なものを警戒し、現実に立脚する。人間は合理的に動かないし、社会は矛盾を抱えていて当然だという前提から出発する』(p80)

つまり、人間が頭で考えたことは間違える可能性があるという当たり前の現実に対し、謙虚になることです。

それ故、一見、『非合理的に見える伝統や慣習を理性により裁断することを警戒』し、『ゆっくりと慎重に改革を進める。改革というより改善です』(p81)

という立場ですので、理性的な意見というだけでなく、歴史の中で培われた常識を重んじているのだと思います。

適菜氏も同書の中で、
『私は必ずしも政治家に歴史や経済、文化に関わる高度な知識が必要だとは思いません。

政治家には判断能力があればいい。

判断の基盤となるのは、常識です。それと人間を知ることです。』(p4)

と語っています。

(以上、『 』部出典:『安倍でもわかる政治思想入門』 適菜収著 KKベストセラーズ

 

「理性的な意見」と「常識」。いずれにせよ、輿論の「輿」はGHQの占領下、字画が多いという理由から制限漢字となり、世論に飲み込まれていきます。

 

そして現代の政治の場では、理性的な意見をもとにした熟議と合意形成よりも、例えば“戦争法案”といった印象操作が先行したり、構造改革グローバル化といった名のもと、日本社会が持っていた良き常識すら改革の対象になっているように思います。

 

  • 転換点に在る世界と日本

前回の投稿でも書きましたが、世界的に、ブリグジットやトランプ次期大統領の誕生など(実際のトランプ政権下での政策がどうなるかはわかりませんが)、行き過ぎたグローバリズムに対して、国家主権と自国民重視の流れが生まれています。

 

日本は、直近で発表された7-9月期のGDPデフレータがマイナスという状況で、デフレから抜け出せていません。

しかし、人口減少ではあるものの、それを上回る生産年齢人口減少の「おかげ」で完全失業率が3.0%という他国もうらやむ状況にあります。

統計分析家:高橋洋一氏によれば構造失業率(ミスマッチなどで、これ以上は下げることができないという失業率)は、日銀が想定している3%台前半ではなく、2.7%程度とのこと(2.5%程度を唱える方もいる)。もう少し景気が回復すれば2.7%を下回り、その時には賃金上昇が加速するでしょう。

経営者としては、短期的な収益圧迫や人手不足で困ることもあるでしょうが、安定的な賃金上昇期を迎えれば、消費が増え、需要が拡大、GDP成長(=経済成長)につながりますので好機と捉えるべきで、日本は再び成長路線を歩めるかどうかの正念場を迎えています。


また、安全保障に目を向ければ、領土や拉致問題、中国に加えて北朝鮮の核保有、活動期に入った地震など深刻さは増す一方です。

 

こうした問題は、意識的に自分事として考えないと、何となく世論に流されてしまいます。

例えば、、、

デフレ脱却ができなければ、日本国民全体の所得を増やすことができず、国内のビジネスチャンスも拡がりません。個人と違って、デフレだからと政府まで緊縮を続ければ、技術開発が進まず、インフラは老朽化して生産性・安全性の両面を低下させ、国・企業・国民の未来を傷つけます。巡り巡って自分や家族に影響を及ぼすのです。

また、拉致被害者やその家族に自分を投影してみなければ、「同胞=同じ国民を助け出す」という当たり前の想いを強く共有することができません。2002年に5人の拉致被害者が戻ってきたときにも、当初は「一時帰国」、つまり北朝鮮に戻すことが条件でした。それを輿論が世論を動かして乗り越えたのです。

そして、自分の住む土地には大震災は来ないと高を括っている人が多ければ、地震津波対策は進みません。災害はある日突然襲ってくるもので、今の学問ではいつどこに起こるかわかりません。

 

歴史の転換点に在るからこそ、選挙権を持っている我々が、様々な問題に自分事として関心を持ち、自分の頭で考える力を養う必要があると思うのです。