「雑観」コラム

(株)MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.53 「グローバル資本主義」と「企業の本分」と「アベノミクス第三の矢」

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 社長の並木です。今回は、前回ご紹介した『グローバリズムが世界を滅ぼす』(エマニュエル・トッド、ハジュン・チャン、柴山桂太、中野剛志、藤井聡堀茂樹:文春新書)から2~3の発言を紹介し、ドラッカーも引用しながら、経営や経済政策について考えてみたいと思います。

 

 同書の中で、ケンブリッジ大学開発経済学者であるチャン氏は、新自由主義が浸透した経済とその中での企業経営について、
「先進国全体の成長率は1960年から80年の平均は3.2%だったのに対し、世界中が新自由主義の理念の下グローバル化した80年から2010年は1.8%と、半分近くにまで下落しているのです。つまり、『グローバル資本主義によって経済は成長する』と信じられてきましたが、実際のデータを客観的に眺めてみれば、真実はまったく逆であって、『グローバリズムは成長を鈍化させる』のです」
「企業には『短期的に成果を出せ』という圧力が掛かっている。この四半期、この一年で高い利益を出すことが求められると、5年後、10年後などという長いスパンの視点を持てないのです。短期的な数字を追うために、設備投資、研修、リサーチといったことが疎かになる。そのため、長期的な成長に必要なはずの生産性の向上や、所得を伸ばすための長期的なコミットメントも生まれない。その結果、技術開発が進まず、所得も増えず、成長が鈍化してしまうことになるのです。目先のパイの奪い合いだけが激化し、パイ自体を大きくしようとしていないのです」(出典:『グローバリズムが世界を滅ぼす』文春新書
と述べています。前者は新古典派経済学者やその影響を受けた新自由主義者に対する、後者は財界や経営者、資本家に対する厳しい警鐘です。

 

 一方、マネジメントの父と呼ばれるドラッカーは、企業は社会のものだと語り、マネジメントの役割は、
「第一に、それぞれの組織に特有の社会的機能をまっとうする」。即ち、事業を通してよい商品・サービスを適切な価格で提供し、社会に貢献すること。
「第二に、組織に関わりをもつ人たちが生き生きと生産的に働き、仕事を通じて自己実現できるようにすること」
「第三に、社会的責任を果たすこと。その一つが、世の中に悪い影響を与えない」。つまり、公害や騒音などの悪影響を起こさないようにする。少なくとも最小限にとどめること。「もう一つ、組織の強みを用いて、社会の問題の解決に資することである」(出典・参照:『ドラッカー入門 万人のための帝王学を求めて』上田惇生著 ダイヤモンド社
としています。自社の利益、しかも短期利益の極大化を目的とするのではなく、社会への貢献を第一義に考えるということでは、『経世済民』即ち『世を經(おさ)め、民を濟(すく)う』という本来の意味での『経済』活動の主体として企業に期待をかけたのでしょう。そのため、ドラッカーは「マネジメントにとって利益とは、明日さらに優れた事業を行っていくための条件である。同時に仕事ぶりを測るための尺度である。目的ではない」(出典:同上)という言葉も残しています。

 彼からすれば、金融の肥大化によって起こったサブプライムローンバブルの崩壊やその後の世界同時不況などは、世の中に悪い影響を与えた最たるものといえるのでしょう。特に日本におけるドラッカー人気は高いので、多くの経営者が学んでいる筈です。経営には短期だけでなく、長期も含めた両眼を持たなければなりません。今一度、噛み締めてみる必要がありそうです。

 

 またドラッカーは、自由市場について、
市場経済を認めながらも、完全な自由市場などあり得ないし、あってはならないという。何よりも市場参加者が自らを律しなければならない」「市場とは不完全なものであり、第一に自己規制、次いでそれを補うものとしての権威筋を必要とする。ひと言にしていうならば、こうして正統性を担保する。さらに加えるならば、金を懐に入れながらレイオフを行うことを自らに許さないという矜持を必要とする」(出典:同上)
と語り、政府や権威筋による、不文律も含めた規制の必要性に触れています。

 

 さて今度は、『グローバリズムが世界を滅ぼす』から経済政策に関連する部分をご紹介しましょう。評論家の中野剛志氏の、
「これまで見てきたように、グローバル資本主義新自由主義は、社会格差を広げ、社会のあり方を崩壊させ、国家の自律性も失わせ、経済成長すらも実現しない。しかも、絶えず危機が続く。しかし、これほど問題だらけで、理論的にも空疎なしろものを、アメリカ、ヨーロッパ、そして、日本のエリートたちも支持し続けています。なぜだと思われますか。」

という問いに対し、フランスの著名な歴史人口学者・家族人類学者であるトッド氏は、
「いま国家の中枢の人々の間では、たしかに新自由主義的政策、新自由主義的なものの見方が支配的だと思いますが、彼らは二種類に分類できます。一つは、本当に自由貿易・市場至上主義を信じている人々。国家のかなり上の方に多く、フランスにもたくさんいます。彼らは愚かにも、新自由主義こそ人々を豊かにする唯一不可避の選択だと信じ、それを実行しようとしている。
 ところが、もうひとつ別のタイプがある。これは、世界的経済学者だったジョン・ガルブレイスの息子、ジェームス・ガルブレイスの著書に強い示唆を受けたものですが、『偽善者』と呼ぶべき人々です。新自由主義を信じているようにみせて、実はそんな考えはなにもない。特定の企業や組織の利益を図るために、国家のさまざまな機構を用いる人たちです」(出典:『グローバリズムが世界を滅ぼす文春新書
と語りました。前者は新自由主義者に対して、後者は以前の投稿でもご紹介したレントシーキングを行おうとする人たちに対する発言と考えて良いでしょう。
<参照>
Vol.33 資本主義的民主主義 ~コーポラティズム・レントシーキング・ショックドクトリン~

http://urx.nu/aInM

Vol.35 「国家の階層」論と日本における「レントシーキング」

http://urx.nu/aInr

 

 以上を踏まえて、先日発表されたアベノミクスの経済方針である「骨太の方針」と「日本再興戦略改訂版」を見てみると、納得感の高い方針もある一方で、「稼ぐ力」「外国(外資や外国人材)」「PPP/PFI(要は公共サービスの民営化です)」といった言葉が数多く踊っている点に、今の日本に対する処方箋としては、新自由主義が過剰であり、レントシーキングの種になりかねない危うさを感じます。
 新自由主義は、供給サイドを強くするという発想に立ちますので、「稼ぐ力」を高める為に、「外資」も入れて競争を激化し、「外国人労働者」の増加によって人件費コストを抑制し、利益を増やすということなのでしょうが、彼らの理論には「デフレ」が十分考慮されておらず、考えられていたとしても、「それは貨幣的現象なので、金融緩和で対処できる」という立場を取りがちで、「同じ仕事をしても、物価の下落(値下げ)によって売上が下がり、それによって個人や法人の所得が減って(最たるものが失業です)、需要が足りなくなる」という現実を軽視している点で今の日本(や世界的な経済情勢)には適さないと思います。確かにアベノミクスによって日本の2013年度の名目GDPは「3年ぶり」に拡大しましたが、成長率は+1.9%に過ぎません。

http://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/menu.html

 しかもこの1.9%という、それほど高くもない対前年度成長率が、デフレに陥った1998年度以降では2010年度の対前年度比+1.3%を上回って、最高の伸び率なのです。これは、日本がどれほど長期に渉って不況に喘いできたかを示すものであり、一方、アベノミクスの第一の矢・第二の矢に効果があったということの証左でもあります。

 前回の2010年度の終わりにあたる2011年3月に東日本大震災が起こり、翌年度は▲1.4%に沈みました。今回も翌2014年4月に消費税増税を行っていることを忘れてはいけません。

 チャン氏の言うように、新自由主義下の経済では設備や人材に対する投資が疎かになり長期的な成長を妨げますが、需要が不足しているデフレ下でもそれは同じです。特にデフレ下では(企業が生き残る『条件』としての利益を確保するために)資金が、需要の縮小している『国内』の投資や人材に向かわないのですから、国民経済を預かる政府は、企業の稼ぐ力を心配する前に、政府自身で需要をつくることを優先させるべきなのです。
 もともと、新古典派経済学とそれによるグローバル資本主義は、インフレに悩む米英に用いられて経済学の主流となりました。つまりインフレ抑制(=デフレ促進)策なのです。デフレ下では企業が、国内における『マネジメントの役割』を軽視し、当面の利益の為に海外の市場、より安価な海外の労働力に目を向けがちになることを考えても、デフレ促進策であることがわかります。
 一方、外国人労働者やPPP/PFIの増加は、国体を変えてしまう上、レントシーキングの温床にもなりがちです。
 外国人労働者の受け入れについて、年数制限を設け、非常に抑制的に導入したにも関わらず、今では移民受入大国となって社会問題化しているドイツ、刑務所や戦争まで民営化が進んでいるアメリカなど、同じ先進国・経済大国で、過度の移民や民営化の功罪を知るための事例には事欠かないのですから、そうした情報を詳らかにした上で、子孫にどういう国を残すのかという国民的な議論を行い、その過程でレントシーキングを排除・抑制する取り組みを行うべきだと思います。