社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.120 故 西部邁氏に学ぶ ~再考:状況の中で平衡を見出す~

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保守の論客、西部邁氏が自裁死を遂げられました。

お目にかかったことはありませんが、著作などを通して多くを学ばせて頂きました。
ご冥福をお祈り致します。

当ブログで、最近ご紹介したのはこちらです。

Vol.110 政治の役割:状況の中でバランスを見出す - 社長の「雑観」コラム

真ん中あたりの「混迷の中での政治の役割」の内容を、リンクの中の動画と西部氏の遺作となった『保守の真髄 老酔狂で語る文明の紊乱(ぶんらん)』(西部邁講談社現代新書)を参照しながら、改めて考えてみたいと思います。

※冒頭、「自殺」や「自死」ではなく、あえて「自裁死」という言葉を使ったのは、この言葉が同書に使われていたことによります。

 

  • 国家の四幅対

古代ギリシャには「単一の徳の過剰は不徳に転ずる。相矛盾する徳の間でのバランスを保つ」ことが人間及び社会の仕事であるという思想があったとのこと。

例えば「ギリシャの四徳」の一つである「正義」であってさえ、『正義のみの過剰はかならずや横暴に堕ちていく。逆に正義を掣肘(せいちゅう)するものとしての思慮、それのみが過大に追求されると正義の反対としての卑劣に堕ちていく。必要なのは正義と思慮のあいだの、状況に応じた、バランス(平衡)なのである。』(出典:『保守の真髄』P39)という具合です。

片方に炎上が、もう一方に事なかれ主義が潜んでいるとも解釈できます。

 

同様に、近代の理想とされた「自由・平等・友愛・合理」と、その反意語との関係も、図示すれば以下のようになり、

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その平衡の中で見いだす『活力・公正・節度・良識の四幅対』こそが、『国家の玄関や床の間に掲げられるべき』規範のスローガンだと語られています。(参照・引用:同書P43)

 

確かに、「自由・平等・友愛・合理」を掲げたフランス革命は、国王を処刑したばかりでなく、その後も粛清の嵐。結果、ヨーロッパを戦火に巻き込むナポレオン戦争に行き着きます。

また、平等を目指した共産主義は、旧ソ連においても中国においても極端な格差を生み、ソ連の瓦解によって冷戦に勝利した自由主義陣営でも、新「自由」主義が暴走、過度のグローバリズムや秩序となる「規制」の緩和によって格差が拡大、弱肉強食の世の中が生まれ、トランプ現象にみられるような揺り戻しが起こっています。


西部氏曰く

『かのリーマン・ショックの折、政治家と財界人のパーティにおいて、ある証券業者が「俺たちの貪欲をどうにかしてくれ」と政治家に頼んだという。たしかに人類史を振り返れば貪欲の系譜とでもいうべきものを見出すことができる。よく博愛などが口にされるが、その種の慈善はいずれ偽善に転落する。そして人々は競合へと向かうのだが、それは(自分に余裕がなくなると)いずれ酷薄な弱肉強食に堕ちていく』(同書P139)

とのことです。

 

国家運営は最たるものですが、この証券会社のエピソードのように、会社や個人にも当てはまります。

経営の現場でも、社員の自由な発想や行動を重視しながら、組織としての秩序を保つ必要がありますが、そのバランスによって企業文化が変わっていきます。その他にも短期利益と長期的な成長のための投資のバランス・・・等々、悩みはつきません。

 

  • 理想と現実のあいだ

大変なのは、「状況に応じたバランス(平衡ないし中庸)」の見極め、即ち、同じテーマであっても、状況によって良策と愚策が変わるということです。

『理想と現実のあいだの平衡というのはけっして両者を足して二で割るようなエクレクティシズム(折衷)ではない。折衷というのは理想を弱め、現実を軽んじるところに生まれる理想と現実のあいだの半端な妥協に過ぎない。<中略>ここで活力・公正・節度・良識というのは、理想と現実のあいだに危機(並木註:および矛盾)が胚胎していることに十分に留意しつつ、なおも両者のあいだでバランスをとろうとする、きわめて困難な作業を指すのである』(同書P43)

会社経営であっても、これに納得がいくほど判断が難しいことがあります。

 

まして国政となれば、難度が相当に高い筈。

しかし、その面倒さに耐えられなければどうなるか。前回も触れた憲法9条改正や北朝鮮問題を例にとると、

第一に、前国会がいわゆる「モリカケ」に終始したように、現実のより大きな危機から目を逸らすことが考えられます。

第二に、護憲派にも改憲派にも、日本国憲法無効論者にも一部いらっしゃるように、自説(自分の理想)を声高に叫びながら、異なる意見を排し、結果として現実的な方策を打ち出せないということも。

安保法制の際、多くの憲法学者が「違憲」と主張するだけで、現実に即した憲法のあるべき姿について言及されなかったのもこの類型でしょう。

第三に、「自衛隊違憲だが必要」というご都合主義(あるいは自分の不都合を他者=この場合は自衛隊員 に押しつける論理)に走る。

第四には、何かあったらアメリカが何とかしてくれると他者依存に陥る。

といった傾向が強くなってしまいます。

 

  • 休みない議論と決定

ではどうすべきか。西部氏は、

『人間が知性においても徳性においても不完全性を免れないことは今さら指摘するまでもあるまい。そうだとすると、この平衡の知恵は歴史の伝統によって辛うじて示唆される類のものだとみるほかない。つまり理想に狂舞したり、現実に凝固させられたりしてきた長い歴史の経緯から、両者の平衡の何たるかを洞察するということである。
だが、活力・公正・節度・良識を現在において(未来へ向けて)具体化することをまで伝統は教えてくれない。それを試案として定めるのは今生きている人たちの判断と決断と実践によってである。それは試行錯誤の過程であろうから、それを矯正すべく、議論と決定が休みなくつづけられなければならないということになりもする。』(同書P44)

と語っています。

 

「議論」については、以前、(偶然にも西部氏の弟子筋にあたる)内閣官房参与藤井聡氏の論を参照しながら考えました。

Vol.38 議論について ~真っ当な議論が集合天才を生む~ - 社長の「雑観」コラム

議論は勝ち負けを競うディベート(討論)とは違い、より良い方策を生み出す活動です。「勝ち負けのため」「自説を曲げない」あるいは「分が悪くなったらキレる・混乱させる」ことはタブーです。

また「決定が休みなく」というところもポイントで、一度決めたものも不具合があれば修正する。そのためにいわゆる「抜本的改革」ではなく、漸進する覚悟と根気が必要だと思います。

 

西部氏が、

『世界のなかで最も長期の最も連続した歴史を有しているにもかかわらず、大東亜戦争後の歴史喪失によって日本は癒しようのない深傷を負わせられたとみるべきではないのか。』(同書P108)

と指摘するように、我々は「過去の否定」によって、既に伝統に基づいた平衡感覚を失っているのかもしれません。それでも思考と議論と決定を繰り返すことによって、少しは良き未来を獲得できるのではないでしょうか。