社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.75 通説を疑う ~農業と戦後~

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今回は農業と戦後という二つの点について、幾つかの情報をご紹介しながら、考えていきたいと思います。

 

  • 日本の農業は保護されすぎなのか?

一つ目は作家・経済評論家の三橋貴明氏のブログに掲載された一枚の表です。

<ブログ>

日本ほど農業を保護していない国はない|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba

続 日本ほど農業を保護していない国はない|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba

<表>

新世紀のビッグブラザーへ データ44

 

日・米・仏・英・スイスの「農業に対する政府支出」の割合が比較されています。何とこの表をみると、日本は最も農業を保護して「いない」国だということになります。

農家の所得に対する政府からの直接支払(税金負担)の割合は、

日本15.6%、アメリカ26.4%、フランス・イギリス・スイスは90%超!

です。TPPによって農業(特に酪農や米)が問題になっており、国内では農業は保護されすぎているとか、競争にさらされることで輸出産業に育てるという論調が主流ですが、その根底が怪しくなってきました。

イギリス・フランスはご存じの通りEU加盟国。経済統合を進めても、関税の代わりに政府からの所得の直接支払いで農家を守っているわけです。大規模な不作が起こった際にも自国民を飢えさせないための食料安全保障や、周縁部で行われることが多い農業を守ることによる領土保全が、それだけ重要だと認識されているのでしょう。

 

一方で、我々がすり込まれている通説の類い(今回は「農業は保護されすぎだ」というものですが、それに限りません)は、他国との比較、過去や自国の特性を踏まえて「事実」を検証した上でないと、誤った思い込みの上に屋上屋(おくじょうおく)を重ねることになりかねないということがわかります。

三橋氏は農業に関する書籍出版を予定されているようですので、改めて勉強してみたいと思います。

 

二つ目は戦争に関する通説についてです。

毎年八月になると戦争や敗戦に関する企画がメディアを賑わします。今年は安倍首相談話の発表というイベントがあったので尚更です。その中に、虎ノ門ニュース・スペシャル:青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』という異色の番組がありました。

青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』前編 - YouTube

青山繁晴×百田尚樹が語る『終戦の日と日本人』後編 - YouTube


学校やマスコミで語られる通説を覆すような話が満載です。

 

例えば前編の18分38秒~38分52秒までの間、「真珠湾攻撃」に関する議論と企画が展開されています。

真珠湾攻撃と言えば、外務省の不手際で、宣戦布告なき戦い=「奇襲」とされ、卑怯な戦いと責められてきました。米国の原爆投下という(民間人を攻撃・殺害対象とした)戦争犯罪を問う際にも、「リメンバー・パールハーバー」と言われれば何も言い返せないと日本人自身が信じ込むほど、先の戦争における“日本=悪”という構図の代名詞のような戦いですが、真珠湾攻撃の生き証人である退役軍人お二人が「民間人への攻撃はありませんでした。そして軍事的な目線で考えると、私がここで目撃したあの戦いはお見事です。日本のパイロットは本当によく訓練されていて、まとまりも良く、それはもう素晴らしい腕前でした」。あるいは「あなたは昔の帝国日本について敬意を抱くことが出来ますか?」という問いに対して、「ええ、もちろん。日本が戦争に追い込まれていった、そのメンタリティを理解すべきだと考えています」と答え、パールハーバーにある博物館では「日本もアメリカも共に戦争を避けようとした」と書かれたパネルをはじめ、米国や連合国側に偏ることなく大変フェアな展示がされている様子が紹介されています。

私が特に興味をひかれたのは、93歳の退役軍人が「リメンバー・パールハーバー」の意味について、「備えが足りなかった」「常に世界を見て、備えをしなければならないという意味ですよ」という趣旨の発言をされた後、一般的に言われているアメリカ本土の見解と違うという指摘を受けた際、「私たちはこの真珠湾で実際に何が起こったかを知っています。アメリカ本土ではきちんと話し合われていないのでしょう。だから本土とは考え方が違います」と答えたことです。

 

さて、我々日本人はどの程度戦争の事実を知り、話し合ってきたでしょうか。

 

私の中学・高校では日本史の近現代史の授業は三学期の終わりに少しだけ、つまり時間切れで、戦中・戦後については殆ど教えられませんでした。

「戦争は悲惨」ということには誰もが納得しますが、一方で、真珠湾の博物館に展示されているようなフェアな事実が語られず、伝えられない。そんな空気が70年間続いているように思えます。

 

  • 占領下に行われた検閲

敗戦にまつわる歴史は大まかに言って以下のようになります。

1945年8月14日 ポツダム宣言受諾を連合国側に通告

1945年8月15日 終戦の詔書玉音放送

1945年9月2日 東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリの船上で降伏文書に調印・・・厳密な意味での「敗戦」

GHQによる占領>

1946年11月3日 日本国憲法公布

1947年5月3日 日本国憲法施行

1951年9月8日 サンフランシスコ講和条約調印

1952年4月28日 同条約発効・・・厳密な意味での「終戦・独立」

GHQによる占領の終了>

1972年5月15日 沖縄返還

 

8月15日の終戦の日(敗戦の日)からサンフランシスコ講和条約発効までの7年間。日本は連合国軍最高司令官総司令部(英語表記の略称はGHQ/SCAP。日本ではGHQと呼ばれることが多い。実質的には米国)に占領されていました。

この間、GHQは様々なウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)を行いました。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム - Wikipedia

その中に焚書や検閲があります。

占領下に検閲があったことは知っていても、それがどういう指針で行われたかまでは殆どの方がご存じないと思います。私もそうだったのですが、たまたま最近読んだ二冊の本、『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』(佐伯啓思:著 PHP新書)と『国土が日本人の謎を解く』(大石久和:著 産経新聞出版)にその抜粋が載っていましたので、興味を持って検索してみたところ、評論家:江藤淳氏の調査によって30項目の「削除と発行禁止対象のカテゴリー」がわかっているのだそうです。

プレスコード - Wikipedia

<以下はWikipediaからの引用>
1.SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
2.極東国際軍事裁判批判
3.GHQ日本国憲法を起草したことに対する批判
4.検閲制度への言及
5.アメリカ合衆国への批判
6.ロシア(ソ連邦)への批判
7.英国への批判
8.朝鮮人への批判
9.中国への批判
10.その他の連合国への批判
11.連合国一般への批判(国を特定しなくとも)
12.満州における日本人取り扱いについての批判
13.連合国の戦前の政策に対する批判
14.第三次世界大戦への言及
15.冷戦に関する言及
16.戦争擁護の宣伝
17.神国日本の宣伝
18.軍国主義の宣伝
19.ナショナリズムの宣伝
20.大東亜共栄圏の宣伝
21.その他の宣伝
22.戦争犯罪人の正当化および擁護
23.占領軍兵士と日本女性との交渉
24.闇市の状況
25.占領軍軍隊に対する批判
26.飢餓の誇張
27.暴力と不穏の行動の煽動
28.虚偽の報道
29.GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
30.解禁されていない報道の公表

 <引用終わり>

1番や2番はなんとなく分かっていましたが、憲法起草、連合国各国に加え、朝鮮人に対する批判、戦前・戦中・ナショナリズムを肯定する言論、検閲制度そのものへの言及など、様々な項目が含まれています。

 

前述の『従属国家論』によると

『より大事なことですが、江藤さんによると、占領期のこの「事前検閲」は、特に新聞の場合、1948年の7月まで続き、その後は「事後検閲」に変わっていった。

するとどうなるか。「事後検閲」になると、むしろ、「検閲」があらかじめ日本の言論空間に内面化され、埋め込まれてしまうのです。言論人は、事後検閲に引っかかるのが怖いから、あらかじめ「自己検閲」してしまうのです。

本を書いてしまって、出版してから差し止めにあえばたいへんな損害が出てきますから、あらかじめ無難なように「自己検閲」するわけです。

雑誌などでも同じことです。GHQの意向に反するようなものはあらかじめ掲載しないのです』(出典:『従属国家論 日米戦後史の欺瞞』 佐伯啓思:著 PHP新書 P178-179)

とのこと。当時はこれに政界・財界・教育界・マスコミ・行政官などに対する公職追放も行われていたわけですから尚更でしょう。

当時はインターネットなどありませんから、マスコミや出版物、教育現場で、何がどのように語られ、また語られないかで、今以上に世論=空気がつくられます。それが高じて事実を語り、話し合う機会が極端に少なくなったのではないでしょうか。

 

  • 日本人の問題

私はGHQやアメリカを批判したいのではありません。サンフランシスコ講和条約以降については日本人自身の問題なのです。戦後70年の安倍談話に「反省」や「お詫び」が盛り込まれるかどうかが、発表前も後もメディアを賑わしていますが、そもそも「反省」と「お詫び」は違います。お詫びについては安倍首相談話の「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という立場を支持しますが、反省は自らの行いを顧みて、評価を行う事です。顧みるためには客観的な事実を知らなければなりません。

政府・マスコミ・教育界・言論界と国民の努力によって、少しずつでも変えていければと思い、今回のブログのテーマにも取り上げました。

 

最後に、作家・評論家の佐藤健志氏の言葉を引用しましょう。

『どんな国の歴史にも、大いに誇れる点と、いかんせん誇れない点の両方が含まれる。

「国を愛する」とは、誇れる点と誇れない点をともに認めたうえで、その全体を肯定することなのである。自国の過去について、誇れる点ばかりを強調するのも考えものだが、否定や反省ばかりを半世紀以上にわたって続けるのも、決して健全な振る舞いとは言えない。

だが、戦後日本で見られるのは、たんなる「戦前の否定・反省」ではない。「本当は戦前を否定も反省もしていないのに、深く否定・反省しているふりを続け、そのことに気づきもしない」というキテレツな現象なのだ。』(出典:『僕たちは戦後史を知らない』 佐藤健志:著 祥伝社 P30-31)

良い面も悪い面も含めて、より多くの事実を学び、それを引っくるめて自国と自分たちの父祖を肯定できる。そういう道を歩んでいきたいと思います。