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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.63 日本について ~敗戦をめぐるアメリカ化と憲法問題~

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 2015年最初の投稿になります。皆様、本年もよろしくお願い致します。

 さて、年末の投稿で国家について考えてみようと書きました。年末年始の休暇中に読んだ本や観た番組を紹介しながら、「日本」に関連した二つの問題を提起してみたいと思います。皆さんはどうお考えになるでしょうか。

 

  • 敗戦後の『アメリカ=真の日本』という幻想

 12月29日に放映された『西部邁ゼミナール』。『メディアクラシーの落日-日本はまだ在るのか-』という副題がついた番組に、当ブログでも度々ご紹介している京都大学藤井聡教授と作家・評論家の佐藤健志氏が出演しています。

西部邁ゼミナール年末特番 2014年12月29日放送 - YouTube

 その中で佐藤氏は歴史認識について、左翼的な人は「戦前は暗黒の時代で戦後になって良くなった」と言い、保守と呼ばれる人は、逆に「戦前は良かったが戦後になって駄目になった」と言う。どちらの立場をとるにせよ戦前と戦後が切れているということが前提となっているけれども、敗戦を機に国民が入れ替わったのでない以上、過去と現在はつながっているということを受け容れる必要がある という趣旨の提言をします。

 佐藤氏の真意は著書である『僕たちは戦後史を知らない』(祥伝社)や『国家のツジツマ』(VNC新書)に詳しく書かれているので、興味を持たれた方は是非お読み頂きたいのですが、その二冊から引用すると、『日本人は敗戦の衝撃をやわらげるべく、きわめて虚構性の強い世界観を作り上げてしまった』『日本人は、どんなふうに戦後の物語の骨子を作ったか。なんと、敵だったはずのアメリカと心情的に一体化することで、敗戦の衝撃や屈辱感を抑圧・封印した。それによって、アイデンティティの危機を回避しようとしたのです』とのこと。自分とは何か=存在理由としてのアイデンティティの危機を、無理のある世界観を生み出して乗り越えた結果、かえって時間の変化に関わらず連続したものである=自己同一性というアイデンティティを喪失してしまったというところでしょうか。

 さて、その世界観とはどういうものか。

 『日本占領は、タテマエとしては連合国が全体として行うものです』が、連合国間の様々な思惑や駆け引きによって、『フタを開けてみると、内実はアメリカの単独占領』となりました。『他方、第二次大戦の終結と相前後して、国際連合が創設されます。当時はこれを、世界政府のひな形のごとく位置づける発想が有力でした。』『今度は国連が地球規模で平和を維持し、経済の発展もバックアップするのだ!』というわけです。実際の世界は「冷戦」に向かって動いていたにも関わらず、ここではアメリカ=連合国=国連=世界政府という図式ができあがります(因みに国際連合と訳されている英語United Nationsは、そのものズバリ第二次世界大戦中の連合国の呼称です)。

 そして日本は戦時中、八紘一宇(はっこういちう)というスローガンを掲げていました。天下を一つの家のようにするといった意味です。

 そうなると『国連は全世界に平和と繁栄をもたらすはずなんですから、これは「アメリカが日本に代わって八紘一宇を実現しつつある」と解釈できます。敵味方に分かれていようと、じつは同じ目的のために戦っていたのであれば、勝敗にもさほどこだわる必要はない』。それによって『アメリカ=真の日本』とする幻想が生まれたと考察されているわけですが、こう考えると、敗戦の日を“終戦記念日”と呼び、占領軍を“進駐軍”と呼ぶ、負け惜しみ的な不可思議さにも合点がいきます。

 とはいえ幻想は幻想です。無理をして『負け惜しみをよりどころにしたせいで、負け癖がついてしまった』ために国力が上がってからも必要以上に萎縮し、アメリカ化しているわけですから、ナショナリズムに関する話題は避けられます(昨今ではナショナリズムは排外主義的な響きを持った言葉としても使われていますが、ここでは本来のNation=「その国の国民」ないし「国民からなる国家」についての考え方という意味で使っています)。過去を断ち切り、萎縮していますので、経済危機や震災などの衝撃を受ける度に、新たに原点となった敗戦時に戻ってしまうという強迫観念に駆られるかのように『第二の敗戦』という言葉が飛び交うことになります。そして国家観も喪失していますから、かつてはエコノミック・アニマルと見下され、1980年代後半にジャパン・アズ・ナンバーワンと持ち上げられて舞い上がり、デフレ突入以降は再び自信をなくしてアメリカ発のグローバリズムに寄り添うといった具合に、経済成長だけを頼りとした堂々巡りを繰り返しているようにも思えます。(以上、『国家のツジツマ』佐藤健志・中野剛志著 VNC新書 及び 『僕たちは戦後史を知らない』佐藤健志祥伝社西部邁ゼミナール メディアクラシーの落日-日本はまだ在るのか-』 を参照。『 』部は引用)

 冒頭でご紹介した『西部邁ゼミナール』の終盤、西部邁氏が「(敗戦後)みんなが反省猿になっていましたから」とおっしゃる場面があります。その戦後も既に70年。そろそろ反省や自虐から卒業して、学校では教えてくれなかった歴史も学び、戦前も今も連続した日本であるという当たり前の認識のもと、自国の良さと弱さを噛み締めながら、改めて国家観や世界観を再構築する。即ち、「一身独立して一国独立す」る道を歩みたいものです。

 

 もう一つは憲法問題。こちらも敗戦が深く関わっています。青山繁晴氏の近著『ぼくらの真実』(扶桑社)から紐解いてみたいと思います。この本も学ぶことが多いので、関心を持たれた方は是非お読み下さい。

 青山氏も『日本は戦争に負けたのだ、ほかの国とは違う、身を縮めるような生き方が必要なんだ、そういう思い込みが日本の国の国民体内深くに浸透していることを、わたしたちは知るべきではないでしょうか』と問いかけています。日本国憲法が、占領中にアメリカから実質的には押しつけられたものだということは、多くの人がご存じだと思いますが、国立国会図書館の憲政資料室の中に、占領軍が作って、時の幣原喜重郎内閣総理大臣に渡された英文の日本国憲法原案『CONSTITUTION OF JAPAN(日本の憲法)』があるのだそうです。青山氏は英文と現憲法を対比しながら、その事実と当時の政府の幾ばくかの抵抗の痕跡を解説しつつ、問題提起を行っています。その最大のものは安全保障。憲法九条の存在です。

 『国連加盟国だけで百九十三か国あります(2014年末現在)。地球には二百近い主権国家がありますが、国際法によると、その全てに交戦権があります。そうでないと国民が奪われたり、危機に直面した時に護れないからです。それだけではなく「もしも国民が奪われそうになったり、奪われたりすれば、戦いますよ」という意思を常に具体的に示しておくことによって戦争や危機を未然に防いで、互いの犠牲をあらかじめ防止します。これを抑止力と言います』。憲法九条はこの抑止力さえ奪ってしまいます。日本が決して奪い返しに来ないと知っているから、拉致被害者が生まれ、彼らを取り戻す交渉も思うに任せません。海上自衛隊海上保安庁の船がいくら『武装していても、世界のなかで日本国の船だけが撃たないことを、中国の漁民も知り尽くして』いるからこそ、小笠原諸島や伊豆諸島周辺にサンゴ密漁の漁船団が侵入し、『日本国沖縄県石垣市尖閣諸島の領海に中国が公船(政府などの船)を侵犯させても、海上保安庁の巡視船が警告するだけです』。

 また本来、戦勝国が敗戦国の憲法を変えるのは国際法違反です。『日本が1911年に批准した、ひとつの国際法が「ハーグ陸戦条約」です。ハーグはオランダの街で、いま国際司法裁判所が立地する場所です。この条約には「戦争に勝った国は、勝ったからといって負けた国の法律をいじってはならない」という趣旨が明記されています』。

 ではなぜ、日本は受け容れてしまったのでしょうか。青山氏は『日本は世界の主要国でたったひとつ、二千年をはるかに超えて一度も負けて占領されたことが無かった。だからドイツを含め世界の国々は、勝った時ではなく負けたときこそたいせつな伝統をいかに守るかを自然に勉強、訓練、練習してきた。日本はその機会が無かった。だから初めて負けたときに、勝ったアメリカの言うことをすべて聞かねばならないと思い込んだだけのことです』と語ります。(以上、『ぼくらの真実』 青山繁晴著 扶桑社 を参照。『 』部は引用)

 自民党の公約の最後のページに、「国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します」という一文があります。こちらは公布から今年で68年。自分たちで日本製の憲法をつくる機会が巡ってくるかもしれません。

http://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/126585_1.pdf

 その時のためにも、これまで以上に日本らしさ、日本人らしさについて学んでいきたいと思います。