社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.49 グローバリズムvs民主主義

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 社長の並木です。最近「グローバル人材」という言葉をよく目にするようになりました。この言葉を聞く度に、何故「グローバリスト」を言わないのか不思議に思うのですが、それはさておき、世界ではグローバリズムそのものに影響を及ぼすような出来事が起こっています。
 今回は、その中の一つで、わかりやすい形でグローバリズムへの反動が現れた「欧州議会選挙」を端緒に考えを進めてみたいと思います。

 

 欧州連合(EU)では先月、欧州議会選挙が行われ、反EUあるいはEU懐疑派と言われる政党が議席を伸ばしました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kimuramasato/20140526-00035692/
 報道では極右・極左という言葉が踊っていますが、実態はそこまで極端ではなく、ネオナチズム政党などはまだまだごく少数。議席を伸ばした政党には、右派あり、左派あり、反緊縮財政派あり、親緊縮財政派ありと政策はバラバラなのですが、現在のEUやユーロに懐疑的という点で一致しているところが多いのです。

 この結果をみて、真っ先に思い出したのが、以前にもご紹介した「世界経済の政治的トリレンマ」です。(http://goo.gl/SNj6hc

 

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 経済学者のダニ・ロドリック教授は、極端なグローバル化=即ち、「あらゆる取引費用が削減され、国境が財やサービス、資本の取引に何の制約にもならない世界」(出典:『グロバリゼーション・パラドクス』 ダニ・ロドリック著 柴山桂太・大川良文訳 白水社)の中で民主主義を続けようとすれば、国民国家を超えたグローバル連邦主義(グローバル・ガバナンス)によって、領域内の取引費用を除去する方向に進まざるを得ないとし、「グローバル・ガバナンスの方向に沿って進むなら、国家主権が大きく削減されるのは不可避だ。国民政府は消えないが、その権力は、民主的正統性によって権限を与えられた(または強要された)、超国家的な立法・執行機関によって、厳しく制限される。EUはその地域的事例である。」(出典:同上)と述べています。
 実際、ユーロ各国は欧州債務危機によって、ギリシャやスペインを筆頭に、失業率が高まり、国民が困窮しても、金融緩和や財政出動といった経済政策を打つ国家主権が奪われています。唯一の勝ち組と言われるドイツでも、南欧諸国への経済支援に対する反発に加え、自国の経済状況が厳しいEU加盟国や周辺国から移民が流入、ドイツ人の実質賃金が低下するという事態になり、どの国でも不満が溜まっています。
 そこで残された「民主主義」を使ってグローバル・ガバナンスに反対の声が上がったというのが、今回の選挙結果だと思います。

 

 日本も他人事ではありません。TPPなどの自由貿易協定は、締結されてしまえば、その条約が国内法よりも優先されるため、民主主義に則って国内制度を変えようと思っても、制限がかかってしまいます。
 ダニ・ロドリック教授はハイパーグローバリゼーションと民主主義の関係について、こう語っています。
国民国家は、そんな(並木注:完全にグローバル化した)世界に存在できるだろうか。できるとしたら、経済グローバル化にだけ焦点を当てて、国際的な投資家や貿易業者を惹きつけることに躍起になる国だけだ。そのとき民主的な規制や税政策は国際基準に揃えられるか、国際経済統合の制約を最小限に押さえるように構造化されている。政府によって提供されるサービスは、国際市場の円滑化を促進するものに限られるだろう。
 この種の世界は、トム・フリードマンが「黄金の拘束服」という用語をつくった時に、心に描いていたものだ。この世界で政府は、それによって市場の信認を獲得でき、貿易や資本を惹きつけることができると自ら信じる政策を追求する」(出典:同上)。
 「黄金の拘束服」というのはトム・フリードマン(注:ミルトン・フリードマンとは別人です)が書いたもので、「金融資本家は全ての国に『金融引き締め、小さな政府、低い税率、流動的な労働市場規制緩和、民営化、そして全世界に開かれた経済』で縫い合わされたグローバリゼーションの服を着るように迫り、それを着れば『経済は成長し、政府は縮小する』」(参照・出典:同上)という『仮説』です。
 ロドリック教授はそれによって、※注:( )内並木加筆
・労働基準(労働規制の緩和や外国人労働者の受け入れなど)
法人税競争(法人税減税)
・健康、安全基準(自動車の排ガス規制や遺伝子組み換え作物の表示義務など)
・規制的収用(ISD条項等によって、新たな規制が投資家に不利な結果を与えた場合に、投資家が投資先の政府を国際法廷に訴え、補償を要求できるという制度など)
新興国における産業政策
といった分野で民主的な選択が制限されるというのです。
 TPPや産業競争力会議の提言などで、日本では丁度こうした話題がメディアを賑わしていますから、実感しやすいのではないでしょうか。

 こうして並べてみると、グローバル・ガバナンスによる国民国家への制限と、黄金の拘束服による民主主義への制限は非常に似通っていることがわかります。中国など別の政治形態の国を思い浮かべると分類しておくべきでしょうが、民主主義・国民主権の主権国家であれば、むしろ「小さな政府がとにかくよい」といったイデオロギーを浸透させるか、印象的なレトリックや情報の非開示などの手法を使って深く議論させず、民主主義(世論や議会)を通し、国内の制度の変更や多国間協定(含:EUやユーロ)を結び、主権を制限することでグローバル投資家や企業が利益を得やすい構造をつくるという順序で物事が進んでいくように思います。

 

  • ハイパーグローバリゼーション→適度なグローバリゼーションへ

 メディアなどがグローバル化を唱えすぎるので、私はいつも反グローバリズムの視点で投稿してしまいますが、鎖国すべきなどと考えているわけではありません。例えば途上国は、ある程度外資に頼らざるを得ませんが、とはいえ自国の発展に必要な分野の産業を保護しなければいつまで経っても途上国のままです。一方金融資本は経済の潤滑油として必要不可欠ですが、短期投資をやり過ぎると経済的な混乱が起こります。そして先進国は、内需を増やす工夫をした方が世界経済に好影響を与えます。また、デフレとインフレでも、国の人口の大小でも、過剰貯蓄か否かでも、とるべき政策は変わるので、適した政策を議論し、選ぶ為の国家主権と民主主義を残した適度なグローバリゼーションを各国が模索するべきだと思うのです。

 

  • グローバル人材

 さて、グローバル人材。日本語以外はからっきし駄目な私としては、英語などの多様な言語でコミュニケーションをとれるというのは羨ましい限りですが、そのために「大学の授業の英語化!」となると反対です。発想を落とし込み、具体化し、修正しながら完成の域に近づけるためには、微妙なニュアンスが必要不可欠です。それを国民の多くが行いうる今の日本の環境、それには英語による教育から自国語での教育にシフトしてきた明治の先人達の努力が大きく貢献していると思うからです。
 それ以外の定義がはっきりしないので論評はできませんが、企業も人材もグローバル化をして、その先に何を求めるかが大切なのではないでしょうか。そうすれば自ずとその人・企業なりのグローバル化の定義がみえて来るように思います。それが金銭的な利益だけでは面白くありません(精神的な満足や幸福感が得られないと言い換えてもいいでしょう)。できれば自国と相手国の国民国家を意識した上で交流するインターナショナリズムであって欲しいと思います。