社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.44 成長について考える ~『人生に生かす易経』より~

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 社長の並木です。今回は、竹村亞希子氏が書かれた『人生に生かす易経』という本の内容をご紹介しながら、人の成長について考えてみたいと思います。

 

 同書は著者ご自身が「私が易経を読む出発点になったのは、そこに書かれている龍の話にひかれたからです」(出典:『人生に生かす易経』 竹村亞希子著 致知出版社)と書かれているように、易経の中の一部「乾為天(けんいてん)」を引用し、人や組織の成長の過程を龍の生涯になぞらえて説明しています。いつか飛龍となって、雲を呼び、天地(社会)に恵みの雨を降らせることができるように、龍は「潜龍」→「見龍」→「君子終日乾々」→「躍龍」→「飛龍」という時代を過ごすのだそうです。以下、本の要約と共に、私なりの解釈を加えながらそれぞれの段階をみていきたいと思います。

 

  • 潜龍の時代

 まだ時機を得ず、認められていない時代。

 面白いのは、まだ実力がついていない人だけではなく、「たいへんな実力の持ち主で過去には雨を散々降らせた人、もしくは雨を降らせる能力だけはしっかり持っているけれど、いまは時を得ていない」人(出典:同上)を含めているという点です。そしてこの時代に勉強し、思索し、志を打ち立てることの大切さを説いています。

 人には不遇な時期がありますが、振り返ってみると、その時の経験や思索が、その後の糧になっていることが多いものです。今、苦しい環境にいる人も、自分を卑下せず、また時機を得ていないのですから無理押しをし過ぎず、将来に向けて、力や考え方を蓄える時です。

 

  • 見龍の時代

 「潜龍の時代に培った徳をいち早く見出して、世の中に引き上げてくれる大人(たいじん)との出会いがあって潜龍は見龍になります」(出典:同上)。今、若手ビジネスマンとして仕事の仕方や考え方を吸収している人たちは、この時代にあたります。

 そして「これから社会で仕事をしていくための基になる」「基と型をつくる」時であり、そのために大人を「見て真似る」。「量稽古」(「」部分は同書の言葉を引用)のように、時間をかけて繰り返すことで型を身につけるのです。

 日本の武道などの師弟関係で「守破離」という言葉がありますが、師匠に言われた「型」を守り、身につけるために繰り返し型稽古を行うという「守」から修行が始まるのと同じことです。

 

  • 君子終日乾々の時代

 ここだけ龍ではなく、君子となっているのですが、同じことです。「乾」は頑張るといった意味。つまり「『終日乾々』は『一日中努力しなさい。そして積極果敢に前に進んでいって、物事を推進していきなさい』」(出典:同上)ということです。君子終日乾々に続く言葉が、Vol.39の投稿でもご紹介した「夕べに惕若(てきじょ)たり」。即ち、一日の終わりに自分のその日の言動を「惕=恐れる」が「若=如く」省みるのです。

 前回の投稿で、甘やかされた子供のような「大衆」に陥らないために、自己懐疑や謙虚さが必要だという話をしました。自信が過剰となって傲慢に変われば、周囲への悪影響が大きいのは確かですが、謙虚さだけが過剰で引っ込み思案になってしまっては、何も生み出せません。人(特に若い人)は「成功体験」によって見違えるように成長することがあります。これは、それまで努力を重ねてきたことが発揮され、実感できる「成果」となったことで、自分の実力とそれまでの努力は間違っていなかったということに自信を持ち、さらに努力と実行を継続できるようになるからです。

 「自信を持って行動」を量稽古のように行ないながら、「自信過剰になりすぎないような自省」を繰り返し、バランスを保ちながら、「型」を破って、自分の特性を生み出す時です。

 

  • 躍龍の時代

 躍龍について、易経には「あるいは踊りて淵に在り」と記されているようです。「『踊る』とは『一瞬空中にいる』意味になり」「一瞬だけ空中にいて飛龍の真似をして、またもとの淵に沈む」のです。「一方、『淵に在り』の『淵』は潜龍のいた淵です。したがって、ここは『あるいは飛龍の如く、あるいは潜龍の如く』ともいえます」。飛龍になる力は身につけたけれども「その飛龍になる『時』が本当に満ちているのか(中略)を見極めるのが躍龍の段階」であり、同時に潜龍の時代の「志をもう一度振り返り、そして志のメンテナンスをする時なのです」(「」部分 出典:同上)。

 先ほど、自信と謙虚さのバランスの話をしました。プレイヤーとして活躍している間は「自信>謙虚さ」でもよいと思いますが、マネージャーになると「謙虚さ」の重要性が増します。自らが率いる組織に対して責任を負うということは、一人で活躍していた時よりも、より大きな成果を求められるということだからです。そのためには自分の目立った活躍よりも、多くの優秀なメンバーの存在に支えられることが不可欠です。そういう組織を築くためには、「やりたいこと」から「今、部下や組織のためにやるべきこと」へと取り組むことの優先順位や動機を変化させなければいけません。加えて、自分の振る舞いが、部下の仕事観や人生観、ひいては人生そのものにも影響を与え得るということを知ると、果たすべき責任に対して自分の存在の小ささを自覚できます。そうすると、「自省し、努力を継続する能力」、即ち謙虚さが必要になるのです。

 そして、責任のある立場になればなるほど、「失敗」することで組織が被るダメージが大きくなります。量稽古をしている時代の失敗とは周囲に与える影響が違ってきます。そのため、ここで時機をみることを通じて覚悟を定め、自分と組織の理念やあるべき姿を見直す必要があるのでしょう。

 

  • 飛龍の時代

 そして、いよいよ雲を呼び、社会に恵みの雨を降らせる飛龍の時代を迎えます。この時代は潜龍の志に照らして「正しいことを固く守って」「人や物事のそれぞれの特質や持ち味を生かし育てて、見事に開花させ」(共に出典:同上)、会社であれば自社の本業からはじめてステークホルダー、地域、日本へと恵みを大いに循環させていくことが大切です。

 しかし、その中でも優秀で大成功を収めるような飛龍は「亢龍(こうりゅう)=降り龍」になってしまう危険性をはらむとあります。「能力がありすぎる龍は、最初こそ謙虚に恐る恐るやっていたけれど、うまくいくのが当たり前になると、次第次第に『俺様』になってしまうのです。実力もありますから、ちょっとぐらい外れてもいくらでも修正がきくので、そのうちに兆しを見る能力がなくなって」「突然落ちる」(出典:同上)のだそうです。これは前回の投稿で書いた「優良企業・優秀な経営者が社員や顧客の声を聞き入れなくなって凋落することがある」という内容に通ずるものです。

 

  • おわりに

 易経四書五経の中でも最古のものです。それを現代に照らして書かれている同書を読むと、改めて「人」というもの、その「変わらない特性」について考えさせられます。積極的に言動を行うための自信を持ちながらも、なすべきことに対する自分の至らなさを自覚するバランス・中庸を保ち続けることは難しく、しかし大切なのでしょう。

 

 今回は竹村亞希子氏の『人生に生かす易経』(致知出版社)から随分引用させて頂きました。古典のエッセンスが読みやすくまとめられていますので、興味をお持ち頂いた方は、是非お読みいただければと思います。