社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.41 イズム・二元論の危険性 ~グローバル化や脱原発などを例に~

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 社長の並木です。2008年のリーマンショック以降、世界は歴史の転換点を迎えています。こう書くと大仰ですが、要はこれまでの価値観・思想に基づいて行われてきた国の政策や企業の戦略による社会の矛盾が大きくなり、考え方そのものを変えなければいけない時期を迎えているということです。より端的に言えば、私としては新自由主義グローバリズムからの転換を、どのように、どの程度行っていくかを模索している過渡期にあたると思うのですが、皆さんはどうお感じになるでしょうか。

 

  • 思想の転換

 世の中は相変わらず「グローバリズム」「市場原理」「構造改革」と新自由主義的なメッセージで賑わっていますが、少し鳥瞰してみれば、租税回避(要は、主にグローバル企業が世界各地のタックスヘイブンを使って行う巧みな節税行為)に対する規制の強化が行なわれ、米欧が製造業の国内回帰を目指し、金融規制の強化などで新興国からの資金の還流を進めるなどといった反グローバリズム的な政策が強化されています。

 一方でTPPなどの自由貿易交渉も行なわれているわけで、全面的に保護主義がとられるというわけではありませんが、米国の不動産価格の上昇に支えられた旺盛な消費に向かって、世界各国が輸出をして成長するというサブプライムローンバブル崩壊以前の時代は終わりを告げました。今では、米欧などでディスインフレ傾向(物価上昇率及び所得の低下傾向)が強まり、新興国では為替リスクが顕在化し、景気後退によって世界的に需要が細っています。その中で、グローバル企業に対しても稼いだ分の税金はしっかり納めて貰い、高止まりしている失業率を改善するためにも、製造拠点や資金を国内に回帰・滞留させたいという方向で物事が動き始めているわけです。

 また、景気対策として、日米欧などで金融緩和が行なわれていますが、政府や中央銀行が関与できるのは、国債などの債券を買ってお金を市場に流すというところまでです。最近の状況をみると、残念ながら今のところは、資金が実体経済よりも株式市場に向かってしまい、それが先進国の株高に繋がっているようです。金融政策は重要ですが、今後はアベノミクスの第二の矢=公共投資などで資金を実体経済に引っ張る動きを、日本だけでなく、先進諸国が行う必要があると思います。市場メカニズムは万能ではありません。市場メカニズムによって調整されるといわれている長期的な景気回復を待っていたら、世界恐慌の際にケインズがいったように「長期的には我々は皆、死んでしまう」ということになりかねません。不況からの脱出には金融緩和と公共投資のパッケージが早道です。

 しかし、これらは何れも新自由主義新古典派経済学)では説明・解決できない問題ばかりですので、ケインズ経済学なのかどうかはわかりませんが、それに変わる思想が必要となります。

 

  • 思考停止に陥らないために

 そんな時代ですから、これまで常識とされてきた考え方に頼りすぎるのは考えものです。こういう時に、留意しておくべきことが2つあります。

① イズム(主義)に陥らない。

 第一は、既製のイズムや理論によって、現実はこうなるものと固定的に捉えてしまう愚に陥らないということです。「・・・主義者」という言葉は比較的気軽に使われますので、理論を重視するが故に、現実が見えなくなって主張を頑迷に変えないという意味では、(少々定義の曖昧な言葉ですが)原理主義と捉えてもいいかも知れません。

 最近の例で言えば、「グローバリズムは歴史の必然」とか「公共事業悪玉論」といった類いです。「歴史的には、19世紀~20世紀初頭に第一次グローバリズムの時代があり、それが二度の世界大戦や世界恐慌に繋がったという反省から、第二次世界大戦後、資本移動の自由を規制したブレトンウッズ体制に軌道修正されて世界は成長してきた。その後、ここ数十年で再び資本移動の自由が促進され、グローバル化が唱えられるようになり、その代償として格差が極端に拡大している」わけで、歴史は一方向にのみ動いているのではありません。また、「無駄な公共事業や業者との癒着という問題もあったが、当然それが全てではない。そして、主に戦後~高度成長期に作られたインフラの上で、我々は今の便利で豊かな生活が営めており、一方で先人が作ってくれたそのインフラが更新期を迎え、且つ地震も活動期に入っている」という歴史や現状を考えると、ワンフレーズや理論だけで語るより、現実はもう少し複雑です。

 

② 単純な二元論に惑わされないこと

 イズム=(原理)主義者が自説に引き込もうとする時に二元論が多用されます。「グローバル化が駄目ならば、鎖国して生きていけるのか」などです。2つの極を示し、中間の選択肢を覆い隠してしまうのです。

 グローバル化が、国境をなくし、グローバル企業の活動をしやすくするためのものであると定義すれば、現在、安倍政権下で行われている新興国へのインフラ輸出の促進や、過去に遡れば、日米貿易摩擦下で日本の自動車産業が米国での現地生産を開始し、トヨタ自動車では独自のトヨタ生産方式カイゼン文化を現地工場に根づかせ成功したといったことは、同じ国際化でも、国境が不在なのではなく、国籍を背負い、自国で育んだ企業文化を大切にした「インターナショナル化」というべきものです。二元論は、こうしたインターナショナルな国際化や、数十年前までとられていた資本の自由移動に対する規制、今、行われている租税回避や金融の行き過ぎに対する規制、更には各国の事情に基づいて設定された関税や国内規制など、グローバル化鎖国の中間にある様々な選択肢を排してしまうので、しっかりとした議論が行えなくなります。

 また、二元論には多面的に考えなければいけない問題を、過剰にシンプルにしてしまうという悪作用もあります。

 例えば「脱原発」。これだけ専門家のいうことがバラバラだと不安になる気持ちはわかりますが、単純に今何とかできているから、今後も現状維持すればよいという問題ではなく、「既に存在する核燃料の処理をどこでどのように行うのかということが、核燃料を使わなくなるわけですから、逆に喫緊の問題となります」し、「火力発電に頼る場合はエネルギー安全保障や地球温暖化などの環境問題、燃料の輸入増に伴う貿易赤字に如何に対処するかの方策が必要」です。「太陽光や風力などの再生可能エネルギーは、国土的な条件から安定した代替エネルギーになりません。また、現状日本や他国でそうなっているように、電気料金の値上げが必須になりますので、それを許容できるのかという問題とセットで考えなければいけない」のです。また、「原発の耐震・津波対策・安全対策を徹底する」などによる安全な運用という選択肢もあり得るでしょう。このように、どちらの道を進むにせよ、多面的に検討しないとかえって将来に禍根を残しかねない問題を、その時の感情論にすり替えてしまうのです。

 こうした風潮に乗っかってしまうと、自分で考えているようで、実は「思考停止」に陥っているということになりかねません。

 

 『日本思想史新論』(中野剛志著 ちくま新書)という書籍に古学の開祖と目される江戸時代の儒学者伊藤仁斎の語った「活道理」「死道理」ついて書かれています。

 少々乱暴にまとめてみると「理論的に正しいからといって、いつの時代、どんな状況でも『Aというやり方が常に正しい』と原理原則に固執するのは、道理や理性が死んでいる。世の中は常に変化し、状況や場面など環境も常に揺れ動くため、机上の論理どおりには進まない。その時、その場の状況に応じた柔軟な道理(活道理)を持って、判断し続ける必要がある」といった考え方です。

 混迷の時代だからこそ、活道理で「目的に向かった正しい方法」を自分の頭で考え、議論し、更に改善・修正を続けていけるよう心がけたいものです。