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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.38 議論について ~真っ当な議論が集合天才を生む~

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 社長の並木です。今日は「議論」について考えてみたいと思います。

 今、世の中は歴史の転換点を迎えているように思います。過去に遡れば、世界大恐慌に対応するためにケインズ経済学が生まれ、グローバル化による危機を抑えるべく戦後のブレトンウッズ体制が構築されました。時を経て、オイルショック以降のスタグフレーション新古典派経済学を主流派に押し上げ、再び第一次世界大戦前のように、自由貿易・グローバル化が金科玉条となり、金融自由化も推進されるようになりました。こうして国家や経済運営に関する考え方が揺れながらも、何とかやって来たわけですが、リーマンショックによる世界金融危機で、度重なるバブルと金融危機、格差拡大、ユーロという共通通貨の限界、中国での最悪レベルの大気汚染など、これまでの枠組みの欠陥が露呈したように思えます。そろそろ経済も政治も新古典派経済学新自由主義の修正に動くべきです。

 こうした環境の変化は、当然我々日本国民にも、企業活動にも影響を与えます。

 もっと身近なところに目を転じても、大半の企業や団体は、殆ど常に改善すべき点を抱え、試行錯誤を繰り返している筈です。

 今回「議論」について取り上げたいと思ったのは、このように大なり小なり混迷や不透明感を抱えている時、我々に必要な素養の一つとして「議論する力」が挙げられ、その素地として「議論についての正しい考え方や姿勢」を知ること大切だと思ったからです。

 

  • 議論のマナー

 内閣官房参与でもある藤井聡先生(京都大学大学院教授)の最近の動画で、「議論」についての理解が深まるものがありました。政治をテーマにしていて、かつシリーズもののため少々わかりにくい部分があるかもしれませんが、これを拝見したことも今回の投稿のキッカケです。内容を抜粋しながら紹介・整理していきたいと思います。

『CGS じっくり学ぼう!政治の哲学 第8回 弁証法に基づく「真っ当な議論」をすべし』


第8回 弁証法に基づく「真っ当な議論」をすべし【CGS 藤井聡】 - YouTube

 この中では、「ある目的に向かってどうするのがいいか」について意見の相違があった際に単純に議論が生まれるのではなく、異なる意見を持った人間が「理性で考え、語っている」場合にはじめて「真っ当な議論」が「可能となる」と語られています。

 なぜなら、真っ当な議論とは、同じところを目指しながら異なる意見の中に潜むそれぞれの美点・道理を重ね合わせ、複数の意見の持つ美点を含めるような昇華した案を生み出す活動だと定義しているからです。この昇華を弁証法ではアウフヘーベン止揚)と呼びます。

 そのような議論を行うためには、自分の意見と他者の意見を客観視し、しっかりと相手の考えを聞き、指摘すべきところは指摘し、自説を変えるべき時には変える必要がありますので、

・目的に近づくために少しでも良い案を追求する真摯さ と共に

・自分の無知を自覚する謙虚さ と

・他者の無知を指摘する毅然とした態度

が必要だと語られています。こう聞くと「それはそうだ」と思うのですが、現実の会議などの場でそれが出来ているかというと甚だ怪しい。「目上の人が立場(権威)を大事にし、部下や後輩の意見に耳を傾けない」とか「これまで言ってきたことと違うので、面子の問題で反対する」といったこともしばしば体験します。あるいは「時間がないので自分と異なる意見をしっかりとは聞けない」ということも起こります。つまり、「真っ当な議論」をするためには立場や面子といった道理以外の欲望を理性で抑えなければならない上、動画の中では語られていませんが、相応の時間が必要になることも覚悟しないといけないでしょう。

 同じく藤井先生の『CGS 強い日本をつくろう! 第9回 突破力、決断力信仰は、議論の死、政治の死』の中では、このような議論をするために、


第9回 突破力、決断力信仰は、議論の死、政治の死【CGS 藤井聡】 - YouTube

・見解を述べることだけを目的として、他者のいうことを聞かない

・相手を打ち負かすことを目的として、自説を変えない

という態度は御法度であり、「許容範囲内で合意することだけを目的に調整する」ことも交渉やすり合わせであって議論ではないと峻別されています。

 そして、どうしてもこのようなマナーが守れない相手の場合は、その議論の場から排除しないと、議論そのものが成り立たないと話されています。

 

  • グループシンク

 一方、こうした「議論」の対極に、集団で合議を行う際に浅はかな意思決定が容認されてしまう「グループシンク」(集団思考・集団浅慮)という状態があります。カール・アルブレヒトの著書『なぜ、賢い人が集まると愚かな組織ができるのか』によると、

「重要な決定を下そうとして10人を集めても、ひとりに比べて10倍優れた結論を引き出せるとはかぎらない。むしろ、切れる人物がひとりで考えた方が、よほど冴えた結論に辿り着くかもしれないのだ。なぜなら、判断というのは理屈だけをもとに下されるのではない。性格、感情、好き嫌い、利己的な動機、表に出せない事情、対抗心、誤った情報、そして頑なさなどにも影響されるのだ。得てして、我を通そうとする姿勢が幅を利かせるため、理屈に合った意見を述べ、耳を傾けようとの高尚なプロセスは捨て去られる」結果になることがあり、グループシンクに陥る主な原因としては、

・激しいプレッシャーなどの極度の緊張

・判断プロセスの存在しない複雑な問題に対して、その不透明さに耐えきれず、深い考察よりも、単純な二元論に走ったり、安易に立場を決めて勝ち負けにこだわる

・リーダーが混迷を避けようとする

・一部の人たちが徒党を組み、周囲にも同調を迫る

・立場、数の力、声の大きさ、心理作戦など力で全体をねじふせようとする

などを上げています(出典:『なぜ、賢い人が集まると愚かな組織ができるのか』 カール・アルブレヒト著 ダイヤモンド社より抜粋・要約)。このような会議が見受けられることも確かでしょう。

 

  • 集合天才

 私は新入社員のころから「集合天才」という言葉を教えられてきました。「一人一人の知識や経験は微力であり、時間も限られている。そのため、個人の経験を全体のものとし、全体の力を個人に結集して、創造的な活動を行う」ことを目指した言葉なのですが、こうした集団的知性を生むためには「真っ当な議論」が必要不可欠です。

 実際の企業活動の中では合意形成や調整が必要な場面も多く、時間が限られているので当面の対処策を優先しなければいけないことも頻発します。一方、人それぞれ守りたい面子や体裁があるのも現実でしょう。しかし、共通の目的に向かって「議論」が必要な場面で、イギリスの生物学者トマス・ハクスレーが言ったように「大切なのは誰が正しいかではなく、何が正しいか」であることを肝に銘じ、自分の理性を総動員させて「真っ当な議論」を行えるということは、社会生活を営んでいく上で、とても大切な資質だと思います。