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社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.33 資本主義的民主主義 ~コーポラティズム・レントシーキング・ショックドクトリン~

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 社長の並木です。今回は「資本主義的民主主義」について考えてみたいと思います。以前の投稿「Vol.29 世界経済の政治的トリレンマ ~グローバリズムと国内政治の対立~(http://p.tl/A18X)」の続編的な意味合いを持ちますので、関心のある方はそちらもご覧ください。

 

 新自由主義新古典派経済学)の発祥国であるアメリカでは、レーガン政権以降、特にブッシュ(ジュニア)大統領の時代から、政治と企業の緊密すぎる関係が問題にされてきましたが、2010年米連邦最高裁の「企業による選挙広告費の制限は言論の自由に反する」という判決で、企業献金の上限が事実上撤廃されたことで、豊富な資金力を持つ大企業の政治に対する発言力・影響力が更に増し、それを使って企業が利益を増やすという現象が加速しています。

 

  • コーポラティズムとレントシーキング

 そうした状況をジャーナリストの堤未果氏は、「いま、私たちが直面している、教育に医療、高齢化に少子化、格差と貧困、そして戦争といった問題をつきつめてゆくと、(中略)政府と手を結ぶことで利権を拡大させるさまざまな利益団体の存在が浮かびあがってくる。世界を飲み込もうとしているのは、『キャピタリズム(資本主義)』よりむしろ、『コーポラティズム(政府と企業の癒着主義)』の方だろう。」(出典:堤未果著『ルポ貧困大国アメリカⅡ』岩波新書)といいます。

 また、新しいビジネスを起こすのではなく、政治に働きかけ、主に公共サービスの分野に民間が割り込み、既存のパイから分け前を奪う現象に対してノーベル経済学者のスティグリッツ教授は「アメリカの政治制度は上層の人々に過剰な力を与えてしまっており、(中略)ゲームのルールを自分たちに都合よく作りあげ、公共セクターから大きな“贈り物”をしぼり取った(からだ)。経済学者はこのような活動を“レントシーキング”と呼ぶ。」といい「アメリカの政治制度は、“一人一票”から“一ドル一票”の様相を呈してきている」(出典:ジョセフ・E・スティグリッツ著『世界の99%を貧困にする経済』徳間書店)と警鐘を鳴らしています。

 

 アメリカでは刑務所が民営化され、囚人を新興国よりも安価な労働力として活用した派遣ビジネスを行い、それが投資先として注目される。あるいは財政危機によって補助金が減らされた大学では、毎年5%以上のスピードで学費が値上がり、アメリカでは多くの学生が利用する学資ローンの大手が民営化され、金利が上昇。更に2005年に破産しても学生時代の負債を免除してもらえないように、破産法が改定されたため、不況下で困窮する国民が増加するといった事態が様々な分野で起こっています。

 

  • ショックドクトリン

 かつてハリケーン・カトリーナニューオーリンズを襲った際、新古典派経済学の重鎮ミルトン・フリードマンが「ハリケーンはニューオーリンズのほとんどの学校、そして通学児童の家々を破壊し、今や児童生徒たちも各地へと散り散りになってしまった。まさに悲劇というしかない。だがこれは教育システムを抜本的に改良するには絶好の機会でもある」と語ったことは有名で、カナダのジャーナリストであるナオミ・クライン氏はそれを「ショックドクトリン」。すなわち、「アメリカ政府とグローバル企業は、戦争、津波やハリケーンなどの自然災害、政変などの危機につけこんで、あるいはそれを意識的に招いて、人びとがショックと茫然自失から覚める前に、およそ不可能と思われた過激な経済改革を強行する」(出典:ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』岩波書店)と呼びましたが、現在は「財政危機」がその理由として使われ、ショックドクトリン的なレントシーキングが行われることが多いようです。

 

 これはアメリカだけに限った話ではありません。ボリビアのコチャバンバでは上下水道が世界銀行の主導で民営化された後、水道料金が値上げされ、2000年の暴動につながりましたし、スペインではユーロ危機で失業率が急騰する中、失業の主因として硬直した労働市場が、「雇用の流動性がないから、企業が新規採用をためらうのだ」といった具合にやり玉にあがり、経済活性化のために規制緩和が進められ、その結果失業率が更に悪化するという窮状に陥り、いまだに出口がみえません。

 

  • 規制の強化・緩和はあくまで手段

 日本でも様々な規制緩和が叫ばれています。規制があるために自由な企業活動が制限され不利益を受けることもありますが、一方で我々は様々な法律・規制に守られて暮らしているという側面も忘れてはいけません。企業利益の一歩前に国民全体にとって「よい規制緩和か、悪い規制緩和か」を考えることが大切です。政治の目的を仮に「国民に対して安全と豊かさを提供すること」とした場合(他の目的を思い描いていただいても結構です)、規制強化も緩和もそれを実現するための「手段」に過ぎません。手段である以上、「とにかく構造改革」といった具合にそれを目的化してしまうと手痛いしっぺ返しを喰うものです。

 その政策によって、一部の利益団体ではなく、マクロで現在と将来をみた場合に、国家や国民の安全や豊かさ・所得、幸福に繋がれば「よい政策」。逆の結果になれば「悪い政策」です。政策というのは、その影響範囲が企業よりもずっと広範にわたりますので、それに関わる人は「結果責任」に対する意識を高め、「政策の結果をモニタリングし、誤った政策は修正をする」機能をもっと重視すべきだと思います。