「雑観」コラム

(株)MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.21 「自由」と「責任」 ~入社式にて~

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社長の並木です。当社にも4月1日に5人の新入社員を迎えることができました。彼らの成長が今後の会社の発展を支えてくれるという期待が膨らむ一方、新たに5人の若者の社会人人生と生活の基盤を担うという責任に身の引き締まる思いです。

今日は入社式で彼らに話した内容を、若干の加筆を加えながらご紹介したいと思います。

 

  • 歴史の転換点

当ブログでは主に経済や経済思想、政治などをテーマに取り上げ、私なりの観点や考え方をお伝えしているつもりです。これまでの内容をお読みいただいた方にはご理解いただけると思いますが、少なくとも経済史上において、リーマンショックから今年までの5年間、そして今後の数年間は大きな「歴史の転換点」になると思っています。

植民地政策で始まった第一次グローバリズムの時代は、不幸なことに世界大恐慌と二度の世界大戦によって終焉しました。大恐慌からの復活のタイミングでケインズ主義という新しい経済思想が、第二次世界大戦終戦前夜にブレトン・ウッズ体制という新たな経済の枠組みが生まれたのは以前お話しした通りです。

その後、ニクソンショックによって経済の枠組みは再度変質し、現在、我々は第二次グローバリズムの時代に生きています。そして、滋賀大学の柴山桂太准教授が「静かなる大恐慌」(同名の書籍を集英社新書より発刊)と呼ぶ経済危機の真っ只中にいるのです。世界中でバブル崩壊の連鎖が起き、各国がデフレやスタグフレーション(不況なのに物価が上がるという現象)に悩んでいます。戦争なしでこの危機から脱しなければいけませんし、その意味で、(恥ずかしながら)他国より先にデフレを嫌というほど経験してきた日本が「アベノミクス」によってデフレ脱却の先鞭をつけることを願っています。しかし、そのためには現在の危機を生み出した経済思想、すなわちグローバリズムやインフレ対策一辺倒の根底にある新自由主義的な資本主義のあり方を変えなければ、危機から脱却できません。

 

当社の新入社員だけではなく、こういう時代に生きている若手ビジネスマンの方々に、日頃当たり前に使っている「自由」「責任」という二つの熟語の意味を改めて考えてみて欲しいと思います。

 

  • 「自由」とは

経済のあり方を改善していく過程では、これまで常識だと思われてきたことが誤りかもしれないという「自由」な発想を持つ必要があります。「自由」とは、「自由に行動する権利」の面ばかりが強調されがちですが、江戸~明治にかけて活躍した西周(にしあまね)という方が訳されたFreedomLibertyという言葉には、以前このブログでも少し触れましたように、「自らに由(なすべき理由・大義)がある」という側面があることを忘れてはいけません。

当社は社員から「自由な社風で、自分で考えて行動できるところが良い」といってもらえることも多いのですが、自由の持つ「正しい理由」という前提が薄れると、まとまりのない、無機質な会社になってしまいます。正しい意味での「自由」を最初に知った上で、会社の存在理由である「理念」を体得していくことで、個々人の意欲・能力・創造力の自由な発揮が、組織全体の力となり、理念を共感し合っている周囲のメンバーと協働することで、1+1=2以上の成果に結びついていくのです。

 

  • 「責任」とは

一方、「責任」は「責と全うする」ですから、「自由」に比べると窮屈でマイナスのイメージが強い言葉です。ただ、「あの人には責任感がある」というのは、ほぼ間違いなく褒め言葉でしょう。PF・ドラッカーは、「リーダーとは(権限や権力である前に)責任である」と述べています。たとえば社長というのも、その時に会社の代表として必要な役割(責)を全うする存在だということです。また、役職の有無に関わらず、自分の役割に対して斜に構えたり、逃げたりせずに、全力で全うしよう。自分の力だけで足りなければ他者に積極的に協力を仰いで成し遂げようという姿勢は美しく、信頼が持てます。常に期待した成果を生めるとは限りませんが、そういう人は、周囲からの信頼によって新しい機会を得ることができます。そして、成功すればそれを糧としてさらに成長していくことでしょう。

このように捉えると、責任と成長という言葉には共通点が多いことが分かります。「将来、こういう人になりたい」というのは、「そういう役割を全うできる人になりたい」という意味だからです。

 

このように、「自由」という気楽そうな言葉の中には「大義」という重厚な意味が秘められており、逆に「責任」という重たくて、できれば避けて通りたいような言葉の中に「成長」という多くの人が望む状態が潜んでいます。

 それをご理解いただいた上で、「自由」に自分の個性を発揮し、「責任」を担える範囲を拡げていける社会人であって欲しいと思います。