「雑観」コラム

(株)MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.17 消費と投資

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こんにちは、並木です。前々回、ケインズ政策新自由主義についてお話をさせて頂きましたが、各国で新自由主義的な政策(インフレ対策)が打たれ始めた時のインフレ率はどうだったか調べたのが下の表です。

 

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       [データ出典:IMF - World Economic Outlook  Databases (201210)]

                                                                                                                                             

■インフレの中、新自由主義政策をとった米英。デフレの危機の中、実施した日本

その時にお話しした通り、「レーガノミクス」や「サッチャリズム」は1980年代。オイルショックの影響などで高インフレに苦しんでいるさなかに行われ、インフレ対策として一定の効果を発揮します。ただし、その副作用が時を経て、今回の世界金融危機の原因となってしまったわけです。一方、日本で新自由主義的政策が本格化するのは金融ビッグバンなど1997年前後からです。阪神淡路大震災からの復興需要などで若干インフレ率が上がったとはいえ02%程度。とてもインフレ対策を打つタイミングではありません。インフレ対策とはデフレ促進策ですから、その悪影響は余りに大きかったのです。1997年以降デフレ不況に突入し、失業率が上がり、平均賃金は下がり、自殺者数がそれまでの1.5倍になったまま高止まりしてしまっているのですから。

「時機を得た政策」というのがいかに大切か。政治・政策というものを余りなめてはいけない。我々が考えている以上に「現在」と「将来」にわたって大きな影響を与えるものだということを窺い知ることができます。

 

■アベノミクス:反「新自由主義」政策でのデフレ脱却

さて、アベノミクスというのはレーガノミクスを模したネーミングなのでしょうが、その目指すところは「真逆」(デフレ脱却)です。前回「ケインズ革命に対する、新自由主義反革命」という書き方をしましたが、「新自由主義レーガノミクス)に対する、反革命」にあたるわけです。

常々お話ししているように、今は政策転換に対する期待で株や為替が動いているに過ぎません。金融緩和は新自由主義マネタリストミルトン・フリードマンなど)といわれる人たちも許容している政策です。それだけでは原油・小麦などへの投機に折角のお金が向かってしまいます。公共投資によって実体経済に引っ張ってきて貰わなければ景気回復は本物になりません。

 

需要=消費+投資

公共投資、公共事業というと悪の代名詞みたいに扱われることが多いですが、消費と投資について中野剛志氏が『グローバル恐慌の真相』という本の中でこんなことを語っています。

「デフレというのは供給が過剰で、需要が足りない状態だ。だったら日本は、世界的に見ても十分に豊かなんだから、これ以上需要を伸ばして、欲しいものもないのに、無理に買わなくてもいいじゃないか。過剰な供給の方を下げて、小さくまとまればいいというのが、低成長論者の意見。日本の知識人のなかにもかなりあります。

 非常に正しく聞こえるんですが、その議論が見失っていることが一つあります。需要には、将来への投資も入っているということです。需要が消費だけだったら、需要が小さいままでもいいのかもしれません。足るを知ればよい、ですみます。ところが、需要のなかには、消費だけじゃなくて投資も入っている。

 (日本のインフラ整備が進んだ高度成長期)50年代、60年代ぐらいに橋や道路をつくってくれたのは、戦争を生き残った人たちなんですね。その人たちが今の僕らのために設備をつくってくれて、僕らはずっとそれらの恩恵にこうむってきた。今度は今、僕らが、子供とか孫のために更新しなきゃいけない。僕らが投資する番なんですね」

[出典:『グローバル恐慌の真相』 中野剛志・柴山桂太 著 集英社新書 (P7881]

 

■将来世代のための投資

我々は、先達の努力によって築かれたインフラの恩恵の中で、道路を歩き、電車や新幹線に乗り、輸送された新鮮な食べ物を食し、電気や水道を普通に使うことができています。そしてそれらは我々の生活だけでなく、経済活動の基盤にもなっているのです。

消費というのはその場で使い、消えてしまうものですが、投資は将来に向けて築きあげていくものです。

教育投資という身近なものから、防災減災対策、既存インフラの老朽化対策、新エネルギー開発などの子孫や将来の日本人のための技術開発など様々なものがあります。

この中で政府や地方自治体にやって貰わなければならないものが公共投資です。企業では投資回収ができないものには着手できませんし、逆に企業だけに任せてはいけない分野もあります。舗装された道を歩いて出勤・通学しても誰にもお金は払いません。当たり前ですが、公共事業によって作られた道だからです。新自由主義が異常に進んだため、幾つかの国では既に起こっていることですが、水道を民営化、つまり民間企業が一手に運用・維持・開発するようになれば、我々には自分たちで井戸を掘る以外の代替手段がないので、その企業の胸先三寸で水道料金の値上げができるようになってしまいます。その企業の経営判断が現在も将来も常に倫理的であるとは限りません。場合によっては国民生活の困窮につながります。国民の権理※に関わる問題になるのです。

福澤諭吉が「right」を初めて訳したとき「権理」という言葉を使いました。考えてみればrightには「正しさ」という意味があります。ここで敢えて「権理」を使ったのは水道料金などのライフラインの料金が上がることは確かに国民の「利」益も損ないますが、それ以上にそもそもの大義がないと思うからです。

 

■見と観の両眼を持とう

これからアベノミクスが進展すれば、円安株高による好況感から、雇用拡大・賃金上昇による本物の景気回復への途中で必ず「公共事業(投資)」が必要になります。既に見かけますが、メディアの公共投資たたきも激しくなるでしょう。もちろん、個別の事業に関しては人それぞれで不要と思えることも、不正があると感じることもあるでしょうから多様な意見を発していただくのは良いですが、メディアや世の中の先入観にあまり踊らされすぎず、「マクロ(公共投資全体)で考えれば我々が安全になるし、将来世代に資産を残すこともできる。景気も良くなり、収入も上がる。本当は景気が良くなれば、企業の広告支出も増えて、メディアも潤うのになぁ」くらいの冷静さを持つことが必要です。学生の皆さんには、個別事案を精査するミクロの眼と全体を鳥瞰するマクロの眼の両眼を持つよう心がけていただきたいと思います。