社長の「雑観」コラム

MS&Consulting社長、並木昭憲のブログです。 未来を担うビジネスマンや学生の方々に向けて、 政治・経済・社会・経営などをテーマに書き進めています。

Vol.112 北朝鮮危機と国家主権

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国会がいわゆる“もりかけ問題”や“日報問題”で空転を続けている間に、トランプ米大統領北朝鮮の核の小型化に関連し、

北朝鮮が米国を脅し続けるなら、同国は「炎と怒り、そして率直に言えば、世界がこれまでに目にしたことがないようなパワーに見舞われることになるだろう」』

北朝鮮がグアム攻撃を視野、沸騰するトランプの「炎と怒り」 - Bloomberg

と発言、対する北朝鮮グアム島沖へのミサイル発射計画を持ち出すなど、米朝の緊張が高まっています。

その中で政府や与党は必要な対応を行っていると思いますが、国家の根幹である国民の生命・安全に影響を与えるこの件で、閉会中審査を要請する声が聞こえない国会はどうなっているのでしょう。

 

  • ダチョウの比喩とおとぎ話の国

危惧するのは、3回前にご紹介した『さらば、民主主義』(佐伯啓思朝日新書)の一節、

『民主主義は基本的に人気投票ですから、議会での話題はどんどんわかりやすいものへと矮小化します。<中略>国家の舵取りに関わる大きなビジョンでの争いはできず、<中略>各論が中心となる。

それならまだしも、政治家のスキャンダルや、政治とカネをめぐる話に時間を費やすことになるでしょう。』(同書P122)

Vol.109 女性宮家と民主主義の限界 - 社長の「雑観」コラム

という具合に、国会が現実的な危機への対処能力を失っているのではないかということです。

 

「ダチョウは危機になると、砂に頭を突っ込んで、その危険をみないようにする」という話がありますが、実際には迷信というか「人間の」現実逃避に対する比喩に過ぎず、砂嵐が来たときに地面に頭が入る程度の窪みを掘って身を守ることがあるとかないとか、、、

いずれにせよ、ダチョウの方が現実を直視しているようです。

 

評論家の中野剛志氏は、京都大学准教授:柴山桂太氏との共著『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)の中で、

『日本というのはまさに、(そういう)おとぎ話を体現した国に見えていたわけですよ。国内の人間にとってだけでなく、世界的に見てもね。だって、世界第二位のGDPを抱えた国が、何と軽武装の国だったわけですからね。

本当は、そんなものは冷戦が生んだきわめて異例の産物にすぎなかった。ところがそれが、かつての啓蒙思想家たちが理想とした社会を日本が実現しているように見えた。日本人自身、それをプライドの源泉にしているわけですよ』(P172 ( )は文脈を考えて並木記載)

と語っています。本来は冷戦が終了した時点で、アメリカの陰に隠れていれば大丈夫という「おとぎ話」の終わりが来ていたのではないでしょうか。

 

  • もりかけ騒動から学んだこと

何事にもプラスの面はあるもので、反面教師的にではあれ、今回の一連の騒動で学んだことが二つあります。

 

一つ目は、友達だったということ以外、なんら問題=違法行為の見つからない“加計問題”などについて、安倍首相が内閣改造後の会見で、「国民から大きな不信を招く結果となり、深く反省しおわびしたい」と陳謝したという件。

失地回復へ実務型布陣=安倍首相「経済最優先」-改造内閣が発足:時事ドットコム

この事自体は根拠のない非難に対し、(「説明の仕方が悪かった」という趣旨だとは思うものの)世の中の空気に迎合して謝罪したという点で問題があります。とはいえ民主主義において、民意にはそれだけの力があるということが確認できました。

 

第二は、前回も書きましたが閉会中審査における青山繁晴参議院議員と加戸前愛媛県知事のやり取りを、多くのマスメディアが無視ないし軽視したこと。

「省略は嘘の最も強力な形である」という言葉もあるそうです。

「報道しない自由」は何となく知っていましたが、自分が参議院のインターネット中継で見た重要証言が、殆ど報じられない様子は貴重な経験でした。

 

民意には力があり、とはいえ受け身で見聞きする情報だけを鵜呑みにできない。

となれば、少しでも多くの国民が積極的に情報を調べ、考えるしかないということになります。

 

  • 現実の危機

北朝鮮がデモンストレーションの域を超えて、本気の先制攻撃をする可能性は限りなく小さいでしょう。アメリカと正面から戦争をすれば、金王朝も国家も崩壊します。

ただ、デモンストレーションも度が過ぎれば先制攻撃と取られかねませんし、有事の際には、日本も韓国もミサイルや国内に潜入しているであろう工作員からの攻撃を受ける可能性が高い。

日本(と韓国)はアメリカの同盟国である上、地理的にも、拉致問題を踏まえても当事国です。

 

一方、金正恩氏は、核を持たなかったことによって潰されたサダム・フセインカダフィー大佐を見ていますので、米国が本気で行う金融制裁の効き目が如何に大きくても、相当なことがなければ核の放棄には応じないと思います。

トランプ大統領流のディールが効くとは限りませんし、身勝手なディールをされて中距離ミサイル+核兵器が残るという事態になれば、日本としてはさらに深刻です。


そしてこの状態が1年、2年と続けば、(既に可能性が言及されている)米本土に届くミサイルや核の小型化、性能向上が実現しかねません。となれば、それまでアメリカが戦争を待つ理由も見当たりません。

過剰に恐れても仕方ありませんが、我々は核保有国同士の戦争が起こりうる地域に暮らしています。戦後70余年、学校では国家主権や安全保障について教えてくれませんでしたが、真剣に学ぶ必要性を痛感します。

 

その一例として、今回も青山繁晴氏の近著『危機にこそぼくらは甦る【新書版 ぼくらの真実】』(扶桑社新書)から、憲法九条二項に関する記述を紹介します。

特に憲法九条には両極の考えを持つ方がいらっしゃいますが、防衛・安全保障の根幹の問題であることは間違いありません。国民の生命・安全について、改めて考えるキッカケにして頂ければと思います。

 

『九条の二項というのは、主権国家として致命的な定め(だから)です。しかも国際法に明白に違背しています。国際法が明らかに認めていると言うよりは、諸国が国家たる由縁としていちばん大事にしている国民を護る権利を全否定しています。

まず「陸海空軍はこれを保持しない」と記すのではなく、「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」と明記し、拉致被害者のように他国の暴力、軍事力を含めた暴力によって自国民が奪われても、それに対抗したり、防いだり、取り返したりする戦力が一切、認められていないのです。

さらに文末に「国の交戦権は、これを認めない」とあります。これをぼくはいつも「もっとも致命的な、とどめの間違い」と呼んでいます。ありのままに申して凡百の、世に不要な憲法学者はさまざまに机上で解釈なさっていますが、そんな解釈は一字も要らない。

北方領土竹島尖閣も、それから小笠原諸島で漁家が四十年、丹精を込めて育てた赤珊瑚が根こそぎ、中国政府が送り込む漁船団に奪われ尽くしたことも、北朝鮮ごとき狭い小国に多数の同胞(はらから)が囚われているのに誰も取り返しに行ってはならないことも、これらを見れば一撃で分かります。

相手が国だったら、国民が殺されようと生活を奪われようと他国に監禁されようと一切、日本は何をしてはならないという定めです。

こんな定めが国際法にあると思いますか?』(同書P382-383 ( )は文脈を考慮して並木記載)

 

次の国会では安全保障に対して正面から議論が行われることを期待すると共に、

他人事ではなく、直近の危機から国民を護り、拉致被害者を取り戻し、子孫に日本国を残していくにはどうしたら良いか、幕末~明治維新期、欧米列強から国家主権・独立を護るために祖先がしたように、主権者である我々自身も真剣に学ぶべきだと思います。

それが福澤諭吉氏が言った「一身独立して、一国独立す」ということではないでしょうか。